2019
03.01

春雨に濡れた舗道を歩いておりました。
「傷つけてしまったのだな」
ひとり呟くのでございます。

男と女の関係は、築き上げるものではなく、むしろ傷つけあう宿命を帯びているのだと思っておりました。

相手を傷つけ、そして、傷つけた自分に自分が傷つくものであります。

「あの時ほどはマシかもしれない」
好きだったお女性が、別の男と海外に旅行した時のことを思い出すのであります。
「仕方ないのよ」

泥のような恋愛に陥ると、もはや正常な理屈では通じません。

上空の飛行機雲を見上げ、二度と帰ってくるなと、呪ったものでございますです。
彼女が帰国するまでの10日間に、いかほどのお女性と交わったことか。
交わりすぎて、後日、そのお女性と待ち合わせたのに、新宿の交番前の人だかりで、彼女を見つけられなくなるほどでありました。
「誰でしたか…」

どの恋も最後には亀裂し、「あなたって男は!」「もうウンザリだ」とののしり合うのかもしれませんです。

その罵りの言葉をいわせてしまう自分の不甲斐なさと言ったらございませんです。
解放感のうすら寒さと、春の雨冷えはどこか共通点で結ばれております。

私メの職業は、傷ついたお方を、その傷から解放させるという仕事でございます。リアルな傷心をつねに体内に納めておく必要がございます。
食欲に変化はないか。
仕事に対する集中力はどうか。
聞きたい音楽に変化はおきたか。
などなど。

たとえ
「傷つけてしまったな」
と感じても、どの言葉で傷ついたのか、その傷は以前からのものだったのか、それとも急性なのか、傷を治す方法はあるか、そもそも相手は本当に傷ついたのか、傷ついたふりをして試しているのではないか。いや、傷つけたままの方が相手の運命にとって良いのてはないか。
そして、相手を傷つけたことで、自分はどの程度のダメージなのか。自己嫌悪なのか。じつは楽しんでいるのではないか。楽しんでいるのならば、傷ついた心の割合はどのくらいか。相手が美貌でなければ、平気ではないのか。自分の傷は執着心ではないか。

易者である私メは、チャンスとばかり、いろいろと角度をかえて、2人の関係を洗い直してみるのでございます。罪な職業でありますです。

  1. 最初から終わりが分かっていた関係のはずなのに。
    最後にはお互い傷ついて終わり。
    それぞれに自分のほうが深く傷ついたのだ。
    自分のほうが深く愛していたのだ、そう思い込んで。
    相手を自分の思い通りにすることは永遠に不可能なのに

    ●十傳より→近づき過ぎたら、すこし距離を置けばイイことは分かっているのにですね。

  2. 先生のブログは ために なり過ぎます ので 離れられません
    ありがとうございます

    ●十傳より→過ぎましたですか。

  3. 過ぎ な位 面白いでs

    ●十傳より→んでがんsか。ありがとざんs。

  4. 先生の情念の世界の描写はまるで
    スクリャービンの音楽の世界や
    クリムトの絵画の世界へと誘う様で
    怖さすら感じます。
    煩悩描写の帝王です。

    ●十傳より→では、もっとヤッてみますです。

  5. 東京大神宮で年の大イベント!「ひなまつりの祓い」がございます。
    春の雨の気候で花びらがはらひらと、落ちたり舞ったり落ち着きませんんね。

    ●十傳より→三と三が重なる訳でして、だから祭りをするわけであります。

  6. 是非、もっと!ケッパレ、煩悩帝王様

      ●十傳より→ケッパッてみっぺか。

  7. 3/2甲丁を実行しました。小野先生は永遠にゴキブリ野郎です!!

      ●十傳より→それは大変に嬉しゅうございます。

  8. 私にも覚えがあります。交わりまではいたしませんでしたが。上手くいかない恋の徒れずれに日替わりで違う男性に逢いに出かけて、自分を罰していたのか、どうか。そんなことをしたからとしても、忘れられる相手ではないことを知り尽くしていても、他の男に逢わずにはいられず、狂いたくても狂えずに、思い続けた若かりし頃が懐かしいです。相手の死によって断たれた想いすら、行き所がなくて数年心が彷徨っていたような。しかしながら、今思い返せば恋ではなかった、そう思えるから女は魔物と言えるのでしょうか。

    ●十傳より→若かりし頃が、そーであれば、現在もまた火種は健全カモですね。