2019
11.26
11.26
近くで交通事故でもあり、どなたかが、命を落とされたのでありましょーか。
キチンとした土台にお地蔵さまが鎮座しておられました。お花も供され、ペットボトルまで。
地蔵菩薩のいわれはいろいろと言われておりますが、他の仏像と比して、屋外に設置されているところが恐いです。
雨除けの掘っ立て小屋を建てているところもございますが、赤いオベベを深夜に見てしまったらギョッと足がすくみそうであります。
遺族の悲しみや悔しさや未練が生々しく感じられるのであります。
「もっと生きたかった…!」
の呻きが聞こえるかといえば、そーでもございません。
早かれ遅かれ、いつかは死ぬものでございますから、死んだ本人にとっては
「こんなものかな」
と蕭々と死に赴くいているのかもしれませんです。
仏様や神様まで創り出してしまう人間の欲の粘っこさ。その仏や神を学問の領域に高め、創り出した仏や神を敬い畏れる人間の不思議。
時として、生きている人間よりも神仏を大切にしてしまう矛盾。天国だの地獄を決める基準は何でしょーか。
愛という生殖行為へと導くだけの感情だったのが、その愛が独り歩きし、憎しみや殺戮へと向かわせる矛盾。愛が守りに入った瞬間に生まれるジェラシーや束縛願望。そして疑惑や不信。
大地から命が誕生し、それが感情を持つ生き物になったというのは本当の事なのでしょーか。ならば大地には、憎悪の種の種が埋め込まれているはずであります。
感情という形のないパワーはどこに溜まるのか。
お地蔵様として祀ったとはいっても、憎悪のパワーは空気のように地球を包むのでありましょーか。
11月のお地蔵様を眺めつつ、つかの間の哲学者になるのでありました。
京都は 各町内の祀る お地蔵さんだらけであります。
地蔵盆もあり独特です。
最近は、昔からそこにいらしたお地蔵さんを
不動産バブルで移転させ、遠くの寺から一年に一度だけ自転車のカゴに乗って戻って来ていただく。守ってくださいね、と。それ、違うやろ、皆さん。
先生、11月に東に引っ越すのは 良いですか?
甲甲 ですが、わかりません。
よろしくお願い致します。
●十傳より→さーて、それは鑑定になりますですよ。
はぁ〜愛って、愛されるのも愛するのも大変ね〜
●十傳より→思い違いの愛というものもございますしね。
浅草にはお地蔵様が沢山あって、神社も沢山あります。
土地柄、水子供養でお参りされる若い女性が多いです。
●十傳より→生まれ出て苦しんで死ぬより、水子のまま死んだ方が幸せでありましょう。善行したことに気づくべきであります。
申し訳ありませんでした。
敷地内に元々お地蔵さんがあった家を知らずに購入。
引越してから知りました。色々あったようで
短期ですが、引越しを考えています。
●十傳より→地蔵というより、その石をどうするかであります。かえって開運する場合も。
石?!!!!!!驚きです
●十傳より→お地蔵さんも石の塊でありますゆえ。
このようなお地蔵様は、事故や事件で命を失った場所に置かれたりしていますね
その大半は亡くなった息子や娘に対する親の行為によるもので
私の住む町にもいくつか点在しています
私が子供の頃からある供養のため置かれたお地蔵様
ある日、若いお巡りさんがスピ-ド違反のバイクの少年を捕まえようと
バイクで後を追いました
恐らく、若いお巡りさんは今までスピ-ドを出して走ったことがないのでしょう
操作を誤りバイクは転倒し、お巡りさんは命を落としてしまったのです
そして その後、その場所に立派なお地蔵様が建てられました
最愛の息子さんの成仏を願った親御さんによるものでしょう
たまに通る道、道路際にはお地蔵様
亡くなった無念さを表しているような帽子とヨダレ掛けの赤が鮮明で
見まいとしても つい見てしまいます
ところが最近、まったく気にならなくなったのです
というより目に入らなくなったのか、無くなってしまったのか
そのお地蔵様を建てたご両親、いつまでも若いままではいられません
いつしか守をするものも居なくなってしまいます
様々な想いがこもった石のお地蔵様、どうなってしまうのか
地蔵守をする者がいなくなってしまえば、お地蔵様の役目も終わるのかもしれませんね
●十傳より→時が経てば、無というものが勢いを増しますです。
情念、怨念、漂いますよね。見えないけどあるとおもいます。
●十傳より→吹き溜まりになってですね。