2022
05.04

雑花たちの季節が訪れました。

やがて雑草となる身なだけに、生存を脅かされる本能なのかは分かりませんが、
「摘んでは可哀そうだ」
そういう気持ちにさせられるのであります。

犬も猫も、ほとんどの生き物は幼い時は。それはもう可憐でございます。

三人姉妹でも、真ん中の子供は可愛いものであります。
長女は最初の子と言うことで大切にされ、真ん中の子は、末っ子が出来ると、放っぽいておかれるものですから、注意惹きつけておかれるために、可愛らしい美貌を与えられると言われておりますです。

が、やがては雑草のよーにたくましく、ズルく賢く成長するのでありましょーか。

庭のコンクリートの壁の隅に、おもわずシャッターを切ってしまうほどの、この可憐な雑花も、その美の内に、ふてぶてしさを宿しているのでございましょー。

ウクライナの焼け跡にも、きっと雑花が風になびく季節が訪れはじめているのかもしれません。
どちらが正しいのか悪なのかは簡単には決めつけられないのが戦争というヤツでございます。

そして将来の復讐を恐れて子供をふくめたジェノサイドを決行することも太古から続けられていることでございます。
いままではパッとしなかったお方が、戦争によって手柄を立てれば、いっきに運の脚光を得ることも、これも時代であります。

四柱推命の命式をみれば、平時では下級の者として生きなければならないけれど、ひとたび世の中が乱れれば英雄となる素質が認められる生年月日

もございます。
時代という船に、我々はしがみついていて、その船から下りられないのでございます。

断易で、戦時下の占例がいくつか残されており、戦地の兄は生きているかとか、弟は無事か、などあり、
「そんな占例が役に立つのか」
30年以上前に、鷲尾先生の教室で教わっていた頃には、ほとんど頭に入れていなかった占例を、いま真剣に見つめ直しているのでございます。

数日前のブログに、人は得意なモノで失敗するという意味のことをUPしましたが、人を、「人類」という二文字に置き換えても良いでしょー。
時代という大船そのものが、いま炎上し、沈みかけているのであります。

雑花に学ぶところがありそーでございますです。
人は人を求めて集まり、人は人に傷つき散っていく宿命を背負った生き物だとしても。

  1. 雑花も、先生がお撮りになれば
    色気を帯びておりますね。

    ●十傳より→ふっふふふ。

  2. 土手や道端に咲く名も知れない雑草の花
    何も言わず、ソヨソヨと吹く風によって何度も首を垂れる小さな花達
    じっと眺めていると心が和み、何故か時が止まったような感覚におそわれます
    一見弱弱しそうな雑草の花ですが
    人の足により踏み荒らされ、薬品によって枯らされるなど
    こうして立派に花開き、蜜蜂や他の虫たちに蜜を与えるようになるまで
    どれほど多くの試練があったことか
    それがあるからこそ野に咲く花や雑草には
    花屋で売られている花には無い「秘めた生命力」と言うのでしょうか
    そんな魅力があるのでしょうね

    ●十傳より→なのに、雑花にはなりたくありませんよね。