2022
11.13
11.13
日中は、まだまだ、
「暑い…」
のですが、朝晩は快い冷気が舞い降ります。
天下の秋を知る…なんて言葉がございますから、秋は終末を告げる意味もあるのでしょー。
でも自殺願望者は春とか夏に多く、
「オノさんが死んだらどーしたらイイのですか」
なんて言われたりもいたします。
でも、秋は全体が滅びの季節なので、むしろ安心するのでしょーか、
「死にたいです」
という相談はめっきり減るのであります。
それでも、深夜に電話があり、
「まだ生きますよね」
の確認されたりするのでございます。
生きなきゃだめだ、死んだら誰かが悲しむから、などという世間の大勢の言い方はしたことはありません。
いずれ死ぬのだから、若くてピチピチしているときに死ぬのとには賛成いたします。
老人ホームで介護さんに、目線の位置までしゃがまれて「おじいちゃん」と憐れみを受けるのはごめんであります。
それが若い看護さんならともかく、髭の生えた中年過ぎの介護さんでは、たとえお女性だとしても、
「殺してくれ!」
と喚きたくなることでございましょー。
「とにかくさ」
電話口で、自殺願望者に告げるのでございます。
「私メが死んだらその日のうちに、キミも死んだらいいよ」
電話口の向こうで、ふいに吹っ切れたよーに声が軽くなるのが分かります。
「きっと死んでけてや」
こんどは私メが不安になって確認するのでありました。
マリリン・モンローも赤木圭一郎も
若くしての死は、逆に、永遠の生が得られるのかもしれませんね
●十傳より→生け花みたいですね。
開運方法に、象意の色を取り入れることは良いのでしょうか。
●十傳より→サプリとして効果があるかもしれませんです。
死ぬ、死ぬ言う人ほど、長生きしますけどね…
●十傳より→統計をお取りになったのでしょーか。
老人ホームや老人クラブに行くと
死にたい、死にたいと愚痴らながら
何年もいきながえてますよ。
本当は優しくされて、長生きしたいとのだと思います。
●十傳より→思うのはイイのですが、何人中、何人の老人が死にたいと愚痴りながら長生きするのかを正確に調べてみてくださいまし。
どうして、死にたいと言う老人が長く生きる
統計を取らねばならないのかわかりません。
死にたいと言うのは年寄りも若い人も愚痴りたくなる時
ぽろりと出る言葉だし…でも個人的には
お迎えが来たら
あー楽しい人生だったと
感謝して死にたいです。
●十傳より→んだって、「死にたいという人ほど長生きする」は、調べなければホントかどーか分からねんではねぇですか。
他人様を調べるより、私は今を楽しむ努力します。
ずっと、ずっと病気との闘いだったから。今もですが^_^
だからこのオフィシャルサイトで、よし、今日も生きてやろう
って思ってます。ありがとう小野先生、
すごく凄く刺激的なお話や
お腹を抱えるお話が溢れてて、死を考えるより
今を楽しむことへ気持ちが向くんです。
いつの日か、先生にお目にかかれたらいいな(^-^)。
●十傳より→他人は他人でも、自分の中の他人を見つけるのは面白うございますです。
小野先生のおっしゃる通りです。
死ぬ死ぬと騒いで、本当に自殺した人も、たくさんいます。
西部邁とか、スイスで安楽死した、ジャン・リュック・ゴダールとか。
●十傳より→手垢にまみれた言葉を、ホントかと洗い出すのもイイのであります。
不意に人は亡くなります。若かろうが年寄りだろうが。
そんなものです。
さっきまで元気だったのに、急にあの世に引き込まれたり
もうそろそろお迎えが来るかと思いきや
ぐずぐず燃え切らないロウソクのような御仁もいます。
どちらがいいのかわかりません。
●十傳より→さっさと死んだ方がイイに決まっておりますです。
こころにも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜はの月かな
●十傳より→ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
そら、そうですね。考えなくても。
●十傳より→上手い死に方をかんがえねば。
「統計をお取りになったら…..」(流石)
この返しは先生でなくては出来ない発想ですね
「死」と言えば私の好きなアリスの歌で「帰らざる日々」があります
「Bay Bay Bay 私のあなた」 「Bay Bay Bay 私の心」
「Bay Bay Bay 私の命」 「Bay Bay Bay may Love」
多量の睡眠薬を飲み、自分を捨てたと思われる男性に電話をし
愛する人の声を聞きながらこの世を去っていくという内容だと思います
相手の男性にしたら偉い迷惑
この歌を聴くたび オイオイと不幸な女性に言いたくなるのです
「この人がすべて、もうこれほど人を愛することなど無いわ」って
そんな事は無い! 絶対に無い!
今死ぬのは勿体ねえぞ若いのに
あと一年もしたら「この街に こんな素敵な男性がいたなんて♡ルンルン」
過去の熱い恋愛など蹴とばしてしまうような出会いをしたりするものです
ですから、この歌の主人公の女性に
「睡眠薬を飲むのは50年後になさい」とアドバイスをしたいのです
名作映画「舞踏会の手帳」で美しい未亡人が
過去に愛を囁いてくれた男性たちを訪ねていくお話
ある土地に到着するとお祭りムードの賑わい
その地の市長だか町長だかの結婚式が盛大に行われようとしていたのです
この式を挙げようとしていた男性こそが、過去に未亡人に愛を囁いた人物
かつて愛した女性の出現に喜ぶ男性
そして懐かしい二人の会話の中で男性が言った言葉
「若い時には恋によって死を選択することもあるが、歳をとるとソレは無い」
「肺炎などで死んだりするものだ」
なるほどなぁ
●十傳より→舞踏会の手帳、最後の一人には会わずに終えておりましたですね。
死を考えられる事は、ある意味
幸せかもしれません。
朝、目覚めた時
あーっ良かった!
今日も生きることを許されたと、
病気をしてる私は感謝いたします。
一つでも、人様と同じ何かをしてから逝けたらと
兎に角、生きることを思うのです。
死にたいと言えるのも幸せ、生きたいと願うのも幸せ
人それぞれでございますね。
●十傳より→幸運を求める過程が幸せだとすれば、私メが死病に至れば不幸であり、オタクが健康になれば不幸ということになりますです。
今の医学では
私は健康にはなれません。
だからこそ生かせてもらえることが
感謝できるのです。
幸せとは、人それぞれの抱えた問題の日々の中で
掴もうとする儚さ…
●十傳より→生きるということは、何者かが何かをせよと語っているのかもしれませんです。自分の夢とは関係なく。