2011
06.09

記録には、一年前はフラッパーな祖母の命日が近いというので、母方の親戚たちとモリオカ近郊の温泉に宿泊していたことが記されております。

まさか一年もたたぬうちに震災で、温泉で顔をあわせた従弟のお嫁さんが亡くなるとはおもってもいなかったのであります。

なにしろ、子供を勘定にいれなければ、もっとも若かったわけです。
そのようなことを考えてみますと、いまいるすべての人たちが影絵のような存在に感じられるのであります。影絵のなかで、独り言を語っているような、そのような淋しさに沈みそうになるのであります。

笑って、喋って、お酒を注がれて。挨拶を交わし、階段を上り下りするスリッパの音や、宴会場から聞こえてくる歌声。

それらがひとつひとつ消えていき、広間に残されているような徒労感。
お膳だの座布団のへこみは残っているのに、誰もいない不安感。

遺影をながめて、ああ、こういう人だったのかとはじめて目や鼻や口の形を確認し、ほんとうにこの人と喋ったことがあったのだろうかなどと不思議な気分になったりもするのであります。それは亡父にたいしてもおなじで、この男が自分の父で、毎日のように顔を合わせていたとはどこか信じられない気持になったりするのであります。

今年は、いつもの年より気温がひくく感じられます。
花もゆったりと咲いているように思えるのであります。

  1. ホントですねぇ昨年見かけた人が今年いなくなるわけですから、イノチって当たり前のようで儚いものですね。
    私の父方の祖父の命日も明後日でした。親族は一応いるのですが、このままだと父の実家は無縁仏になりつつあります。
    男は早死、生きていても独身、養子に行ったり女性ばかりなど・・。
    何気ない幸せは一番の成功なのかもですね。

    ●十傳より→やがて、ああ、いま死ぬところなんだな、なんていう瞬間を迎えるのでありましょうねぇ。そこが、最果ての海辺の町のバス停留所のベンチであれば文句なしなのでありますが。

  2. あの人が逝って、あの人も逝って、でもあたしはまだ生きている。
    おいてけぼりをくらった気持になる。
    とはいえ、生かされているのだとも思う。
    何の為に?
    わからない。

    ●十傳より→死んで可哀想とおもうのは間違いで、生きていることの方が可哀想なのかもしれませんです。生まれたこいが、そもそも不運のはじまりってこととも考えられるのであります。老母は、従弟のお嫁さんの遺影の前で「早く死ぬのも羨ましいことだね」と独り言をいってました。

  3. 「生かして頂いてありがとうございます」いう言葉がありますが、生きているということは多くの屍の上に自分がいるということなのですね。
    お母さんを亡くされたお嬢さんたちは、バックアップの大きな応援を頂いたことなのでしょうね。
    陰があってこそ陽があると思えば、始めはマイナスからだったと思えばたいしたもんだなぁと思います。
    ご近所さんにチワワで14歳で6日にワンちゃんを亡くされた方が言っていましたが
    「尋常ではない勢いで自分の寝ている懐に入ってきて朝には固くなっていた」と悲しそうにおっしゃっていました。この世の別れは動物も辛いのでしょうね。

    ●十傳より→人生の帳尻は合うものだとか。従弟の娘は狂ったほどにワガママになっております。ギギーッと気ちがいのように叫んで願望を叶えようとしております。私の顔を見た瞬間、殺されると…いや犯されると直感するのか、凍りついたように静まるのでありますが。

  4. うふっ 姪っ子ちゃんのためにも先生 若々しく長生きしてね

    私も子供の時 なんとなーく叔父(父の弟)の一人が苦手でした
    でもいつからでしょう 私達、家族でもアウトロー組で意気投合 
    のどち★こ丸出しで笑える仲で「こら!レディ?がみっともない」
    と逆にたしなめられる始末・・・「泣きたいときは涙しろ」
    「可愛い女になれ」なんて言われる度に「ばっかじゃなーい」と
    返しているものの 70過ぎるのに「草津まで昔は1時間きったんだけど」
    なーんて(東京からの運転) 相変わらずのスピード狂発言されると 
    「やめてよ いったいいくつよ 迷惑よ」と心から心配になります!

    アウシュビッツの引込み線に立った時・・・思いました
    一生奴隷(切羽詰れば売春かも)か ガス室(津波・地震・放射能)か。。
    今頃になって 夢に見ます 日本近郊の某国に 収容所があって 
    日本人が続々と送り込まれていくのです ・・・ 
    私には 衝撃が強かったみたい・苦笑

    今 新たに又しても脱出計画 立てています
    今度は キレイキレイなところ・・・愛する国!?

      ●十傳より→私メも津波の夢を見ますです。背丈の何倍もある黒い波が押し寄せてくるところを。私は従弟のお嫁さんに「はやく、はやく」と叫ぶのですが、お嫁さんの姿はないのであります。

  5. 母方の祖母が亡くなりました。7人の子どもを育て、11人の孫と14人のひ孫に恵まれた「ばっちゃ」
    もう何年も会ってなかったのです。いろいろな事情で親戚づきあいが希薄になっていて、駆けつけることができなかったのですが、弟が家を代表して葬儀に出席したところ、幼い頃に遊んだ従姉妹達が出席していたよと聞いて、ちょっと無理しても行けばよかったなと後悔しました。
    働き者で、おおらかな面倒見のいい人でした。
    近いうちにお線香を上げに行ってくる予定です。

      ●十傳より→冠婚葬祭は無条件で出席すべきであります。生者のための式典なのですから。火事と葬式だけは昔から親戚間のいさかいなどは休戦ということになっておりますです。村八分の、残りの二分が、その火事と葬式という説も。

  6. だれもが、肉親の別れを経験します。私の場合は、本当に突然に、私は、最愛の父との、別れでした。自分で、現実を受け入れることが、できず、1週間位軽い記憶消失になってしまいました。現実に戻ったときから、生かされている苦しみが、始まりました。亡くなってしまった父を、羨ましく思うこともありました。お母様を亡くされたお嬢様は、騒ぐことで、心の寂しさ辛さを、はいているのでしょう。少し時間が、たって来ると、お父様は、きっと私より辛いのだと思うようになり、お父様を精神的に支えていくように、なるのではないでしょうか。

      ●十傳より→だとイイのですが、母親の死をヤンキーになれる許可証に使えることに気づくのでは。「私ね、震災孤児なの」をコロシ文句に男遊びにうつつを抜かすことも可能なのであります。そういう少女が目の前に現れたら、私はいっぱつで傾くと思いますです。