11.21
死んだらどこへ行くのか。
以前、私メは死んだらブラックホールに吸い込まれるのだと想像したことがございます。
重力が強すぎて光をも封じ込めると言われるブラックホールに。陰の世界であります。
だからこそ、死んで生き返ったモノはいないのだと。
いや、生き返ったモノはじつはいるのかもしれないとも考えておりましたです。
キリストがソレであります。
世界各地にミイラが干からびて保存されていますが、じつはミイラは蘇りに失敗した残骸ではないかと思ったのでした。
アインシュタインは光はフォトンという微粒子から成り立っていると考えました。粒子であることは重力が影響すると考えたわけで、だからブラックホールの光も出ることが出来ないことに説明がつくのであります。
原子物理学は四行説で成り立っております。プロトン、メゾン、ニュートロン、エレクトロンの四つであります。
これに対して、ホイラーという教授は、ジュオンという超微粒子の存在を仮説しておりました。
もしかすると、ジュオンは霊子ではないかと、私メは空想したものでした。
霊子、つまり霊魂はギリシア語ではサイキ。つまりサイキロンという五つ目のエレメントがあれば五行説が成立するぞ、なんて興奮したものであります。
サイクロンはあまりの速度のために相対性理論も、他の物理的制約も受けないのであります。
瞬間のみが存在するのであります。
と、ここまで夢想し、死んだら光も封じ込められているブラックホールにいくとしたら、と妄想はまだ続くのであります。
一枚の紙に、A地点とB地点を書きます。
Aはオギァと誕生した瞬間。Bは死んでブラックホールに霊魂が飛んでいった時。
A地点とB地点の距離は時間的な距離、つまり寿命であります。百年なのか五十年なのかは、人それぞれ。時間を要するのであります。
しかし、紙を真っ二つに折り曲げて、A地点とB地点をつなぐと、時間的距離はゼロ。
これがサイキロンではないかと思ったのでありました。
すると、ある方法、修行とか、呪いとかそういう方法を用いることで、祈りというか、そういう願望は死の世界の住人に伝わるのでは……。
生き返ることも可能ではないかとも。
時間旅行すらも。
修験者たちは、だから食を断ち、五欲を断ち、光も音もない息をするだけの、悟りと称する、つまり霊子そのものになることを目的としているのではあるまいか………。
ふぅっ、バカげた妄想にお付き合いさせてしまいましたね。
私は、人間は何度も生まれ変わって この世に帰ってくると思ってました。
ブラックホールの中は 嫌ですね。自由が無さそうです。笑
●十傳より→魂が肉体を離れると仮説するのですから、気があるのみ。きっと自由も不自由も感じられないと思いますです。
仏教的な観点では輪廻転生から解脱するために悟りを求めるのだそうです。
●十傳より→私メは出鱈目な妄想ですから。
刑務所に入ってるような気分になりそうです。
自由に宇宙を飛び回りたいんです。
ブラックホールの外で。
●十傳より→そういう想像でイイかも。なにしろ死の世界などはメルヘンなのですから。
先生、、私は、以前 死にかけた時に 三途の川に行ったことがあるんです。
だから、死後の世界が、全くのメルヘンだとは思えないんです。
●十傳より→ご自分の体験を優先すべきでありましょー。