10.21
いつしか、ここ湘南地方も、見上げる木々は、このように葉を落としているのであります。
紅葉もせずに落葉を早めたのは先の台風が原因しているのであります。
オタノシミもしらずに死んでしまったようなもの。花もわるくはありませんが、冬をまえに葉が色づくさまは、崇高ななにかを語りかけてくれているような不思議な気持ちにさせるものでございます。
塩分を多分にふくんだ雨風が、湘南から秋の景色を奪ったのであります。
もみじも、ご覧のありさま。
都心からおデートを楽しむためにいらしても紅葉を楽しむことはできますまい。
それでも北鎌倉あたりだと、山が海からの雨風を遮っていますゆえ、すこしは赤いもみじを愛でることは可能かもしれませんですね。
いや、都会の毒素をたっぷりと含んだ愛欲のしみついたカップルの吐く毒息が、やっと色づいた紅葉をむざんにしおらせるかもしれません。
幸運の呼吸法というものがございまして、それは息を吐くことだけを意識しながら駈け足をすることであります。イメージとして、自分の毒息のために草花を枯れ果てさせるのであります。
吐けば、自然に新鮮な大気を吸い込むことになるわけですから、運のクリーニングというわけであります。
しかし、紅葉が壊滅していては、幸運の呼吸法をする気持ちにもなりません。
愛毒にまみれたカップルの吐いた二酸化炭素を吸ってしまう危険も予感されるのでございます。
まさか福本銭の穴から息呼吸しても、それはアホというだけでございましょう。
すこしヒガンでいるのかもしれませんですね。
秋のデートをする奴らを。
木々にかこまれた小径を腕などくんでそぞろ歩き、江ノ電の線路わきにある和菓子屋で緑茶など飲みほうけ「さっさとラブホにでもいけ!」と心のなかで蹴飛ばしたい気分というのが、正直なところかもしれませぬ。
しばらく純愛ってやつから遠ざかっておるのであります。
もはや望めないかもしれません。
もともと純愛ってものが存在するのかどうかも疑問であります。
紅葉できずに散っていったもみじ葉を、どこかで羨む気持ちもあるようでありますです。
男の人が抱く恋心=純愛なのでは…?
去年、仕事の事で衝突のあった男性が未だに私に恋心を抱いている事を先日確認いたしました。あんたさぁ、人前でプライドを傷つけられた、ってあん時随分怒ってたのになんでなの?物好き?
私には彼の気持ちが理解できません。
ただ、容姿と、いつも私があっけらかんと周囲の人とワイワイとにぎやかに明るく楽しく過ごしているのが気に入っているのでしょうが、
気が小さくて臆病で我儘で頑固で半端ない意地っ張りでプライドが高いと自負する人を私は未だに愛せずにいます。
時々彼の純粋さには驚き、感嘆せざるをえません。
世間知らずなのでは?と疑わしくも思えます…
●十傳より→麻純というお女性がいました。初対面で「麻薬の、麻。不純の純とかいて麻純です」といわれ、たちまち好きになりました。あれが純愛だったような…。いいえ違いますですね。
<しばらく純愛ってやつから遠ざかっておるのであります>
忘れている時のほうが キターッ♫ って くるかも!!
ですよん。。 きっと♪
●十傳より→弁解にちがいありませんけれど、占い稼業をしておりますと、みな皆様の不純愛に焼かれて、もはや純愛することのできぬカラダになったようであります。通り過ぎる思い出だけが純愛なのかもしれませぬ。忘却というフィルターにかけられて。いや、これは冬がちかい症状でありましょう。小汚い心を純白の雪で埋めて欲しいという雪待ち心理であります。
人を美しくもさせ、狂わせ 死にも至らしめる恋愛です
何が純愛で何が不純愛か 何が浮気で何が本気か・・・
疑似恋愛に仮面夫婦・・・
生まれてくるときも 死ぬときも 独りなら
せめて この世では 二人でいたいな~
でも
不在の相手を想っている そんなひとりの時間も
結構大切なのです。。
だから 結婚は10年間くらいでいいの
(なーんてできないかも)。。
●十傳より→疑似恋愛のHが一番楽しいと語って、お女性に憤慨されたことがありました。不機嫌な果実という小説もございました。社会一般の尺度であるモラルというヤツがクセものでありますね。
その昔、ジュンペイという男性に、どんな字?って聞いたら、
「不純の純に、助平の平」という強烈なパンチをくらい、好きになったかも!って思ったことあります。
あたしはもう、結婚はしない(できない)から、相手にソレは求めないし、
生活を一にしないから、経済力も大きく求めない。
何にも考えないで恋して、ただ好きってだけだった10代の頃みたいに、
何を話すこともなく、心地いい時間を共有できるような…
心地いいっていうのは何もHに限らず、紅葉や桜吹雪の中を歩くとか、そういのも含めて。
それが純愛なのかは分かりませんが、
苦い思い出も多くて、なかなか素直になれない自分もいます。
でも、今っていう時は戻ってこないし、こうしている間にも今は過去になって、さっきの未来が今になって…
10年後に後悔しても戻れないし、100年後にはあたしも恋も全部なくなってるわけで、
だから、どうせ今だけなんだから、って思ったら、
否定されるのを怖がらないで、素直になろうかなって思ったりする今日この頃です。
●十傳より→純愛は、多々、迷惑って相手に思われたなぁと、ふと思い出したりするのであります。不純愛で良いような気もするのでありました。
1ヶ月半ぶりの逢瀬に、福本銭を握りしめ、快楽を貪っちゃった私であります(≧∇≦)遊びとわかっていても、彼の全部が欲しくて、これが純愛だと思い込んで、彼には重いんだろうなぁってわかってます。占い師の先生には、絶対敬遠されるタイプでしょうね。嫉妬心で縛ってしまったら、本来の彼らしさが失われちゃうんじゃないかと思いながら、私だけを見ていてほしくて、時々バカなことをしちゃいます。まぁ、これも本来の私なのでしょう。ジタバタしてもダメですね。
●十傳より→身の置き所がないほどシーツを濡らしたんじゃないでしょうね。こういうと女性蔑視と叱られそうですが、お女性の官能は「愛されている」ということのようでありますね。が、男は本当に愛している女に対しては手加減してしまう傾向であります。つまり女の官能は真剣勝負、男はお遊戯に近いものがありそうであります。
あっ、わかります。好きな女には簡単に手を出せないのが、男の純愛でしょう。身に覚えありです。彼は、どうなんだか私にはわかりません(汗)
●十傳より→相手の気持ちのすべてを知ろうとする姿勢は、恋愛では当然なのでしょうが、知ってしまうと恋は終わり…ってことも多々あるものであります。彼との関係が、服を着ている時間と、裸でいる時間比べ、裸でいる時間が多ければ、下手に気持ちを知ろうとしない方が賢明であります。
紅葉を愛でに行きませんか?
参りましょう、桃色に染まる高揚を…
デート誘い時、男女の脳内は、こんな感じでしょうか?
デート中、男と女は悠然とした態度を保ちつつも、
実際にどうやって行動に移すか、お相手に真剣であるほどに
心の中はウロウロ…。
男女を観察してこのように甚だしく妄想する外野の私も、
〈ったく、もう! サッサとお逝きくださいませ!〉
と、心の中で毒づいちゃうことがあります。
でも、私の観察した男女は、コトを終えた後だったのかもしれません。
今更そんな純情な男女を妄想する私…
どうかしていましたです。
●十傳より→コトを終えてから男と女は純粋なお友達になれるのであります。やることをやってのお酒はイイものであります。が、人妻は帰りの時間がありますからねぇ。コトが済み次第サヨナラということになるのであります。「愛されていない」と、そんな男の気づかいを知らずに文句を言うのも人妻。
うちのご近所に50代の美男美女夫婦がいるのですが、
外出先で偶然にドレスアップしたご夫妻をお見かけした時の感想。
どこから見ても、熱愛不倫カップルそのもの。
そのくらい色気の漂っているご夫婦なのです。
これまで仲睦まじい中年カップルを見ては、
〈アレも不倫、コヤツも不倫〉というように
『不倫カップル』と決めつけて観てきました。
この場合の決めつけは、カップルに色気があったからではありません。
『長年連れ添った夫婦が変わらずに仲睦まじく存在すること』
を否定したかったからです。
長年…などということを今更持ち得ない者のヒガミからの否定と決めつけでありました。
●十傳より→直感による妄想も楽しいものでありますから、それはそれで良いような気もいたしますです。