2013
07.23
07.23
江戸名物の夕立ちでございます。
雷鳴がとどろき、一面、白い雨しぶき。
外の仕事のお方は、さぞ大変でありましょう。
頑張っても給料が上がるわけでもないのだからと、言いたい気持ちであります。
濡れ鼠で訪問されても困りますですし。
さきほど編集の方から、
「たいへん申し訳ないのですが…」
と電話があり、
それは昨日、目まいするほど調べた奇門遁甲で竹島や尖閣列島の原稿を、天皇の遷都にしてほしいという変更の知らせでありました。
カクカクと膝から力が抜け、しかし、
「ではそれでいきましょう」
と動揺を悟られぬように穏やかな口調で話を納めたのでございますです。
人種差別の傾向のある私メに書かせることに不安があったのかもしれませぬ。
しかし、原稿に差別はいれませぬ。
というか、第三者の神様の視線で調べていましたから、大丈夫だったはずであります。
まぁ、遷都の問題も面白ぅございます。
明治二年に天皇が東京に遷都した、その年盤が「戦格」という戦いに破れるというおぞましい方位でありました。180年目が抜けるまでは消えませぬ。
それにしても夕立ちは断続的に襲ってまいりますよ。
朝立ちは…という話題に持っていこうと思いましたが、あまりにアホらしいのでやめますです。
…これでも朝立ちは毎朝しております。あしからず。いや、念のため。
朝ダチという言葉はあっても、朝ヌレという言葉は聞いたコトがありませんね。まあ、毎朝ぬちょぬちょで気持ち悪い思いをするよりはイイですけども。実際は…いえいえ、止めておきましょ。
●十傳より→朝ムレってのはあるはずでありますです。腋臭のお女性が手術を受けても、ムレると漂ってくるのでありますです。
小野先生、今晩はです。
変更される以前の奇門遁甲の原稿も拝見したかったです・・・
奇門遁甲の年盤に関してですが、60年ではなく180年でしょうか?
●十傳より→明治二年が上元中元下元かは、ちと忘れましたが、上元60年、中元60年、下元60年として見たりもいたます。このほかにも別のサイクルでみる方法もございますです。
小野先生
いつも大変貴重なブログを拝読させて
いただきありがとうございます。
「明治二年に、天皇が東京に遷都した、
その年盤が戦格という戦いに敗れるという
おぞましい方位。180年目が抜けるまで
消えない。」
明治二年から180年までの間に、戦争を
したら、必ず敗れる、という意味でしょうか?
日露戦争は、どう解釈したらよいでしょうか?
ご教示をよろしくお願いします。
●十傳より→日露戦争では形の勝利に過ぎないと思っております。だれだけの犠牲を払ったか分からない戦でありますです。ポーツマス会議で賠償金も取れず、わずかに遼東半島のみ手に入れたのでありますです。これでは実質的な勝利ではありませぬ。ばかりか、その後東郷平八郎は軍部でハバを利かせ、それが太平洋戦争の敗北へとつながるのであります。戦格の影響で、天皇家は血筋も絶えそうではありませぬか。…ということをムーに載せますのでありますです。