2013
11.21

これが届いたのであります。

Oh!ボジョレヌーボ。

冬の到来であります。
「いっしょに飲もうね」
なんて口が裂けても言ったことはございませぬが、言ってみたことにしたい思い出もございます。
いや、やっぱり、ございませぬ。

昨年は、ちょうど十傳セミナーの開催日と重なったこともあり、横浜の邸宅で、皆様と乱れたものでありました。
月日は駆け足で去り、そしてあたふたと到来するものでありますです。

人も同様であります。
去った人、出逢った人、続いている人。
そろそろフェイドインしようかと思っていたのに、「そうだ!」などと思い出し、十傳スクールをおっ始めてしまったもので、隠居はすこし先になろうかと思ったりしておりますです。

希望も野望もなく、罵られようと「あっそう」と傷つきもせず、妙にカンばかりが冴え、人の先行きを淡々と見てしまえるようになったのは易者としては喜ばしいことではあっても、やはり年齢のせいでありましょうか。
十傳スクールで皆様に講義しながら、じつは私メのほうが学習させてもらっているのかもしれませぬ。
「運命学というものは、そういうものであったのか」
と気づかされることが多いのでございますよ。
そして、なして断易や四柱推命はこうも的中するのかと、いまさらのように首を傾げるばかりでございます。

春のうちはまだ花の蕾に過ぎなかった葡萄が、こうして人を酔わせるワインに成熟するという不思議は、私メを妙に焦らせてしまうのでございます。

今日もーー。
傷つきながいこと自分に自信が持てず苦しんでいるお方に、
「私メはそんなあんだが好きなんでがす。もしも、あんだが自信満々でテキパキと仕事をするようになってしまったら、もう好きにはなんねべよ。道端のゴミを拾う癖は、悪い運がつくからやめろとアドバイチュしていたけんど、んでも、あんだが道端のゴミを気にしてゴミ箱に捨てるようなお人だから好きなんでがんすよ。私メにはやぐ嫌われるようにならねばわがねじゃね」
などとつきはなし、やや寂しい気持ちに陥ったのでありました。

しかし、ボジョレヌーボであります。
みんな忘れて、冬の到来に期待することにいたしますです。

  1. 昨日、知人にワインを頂きました。
    ス-パ-の決して高級ではない品ですが、毎日ワインを飲んでいる私の為にと
    寂しい財布の中から買ってきてくれました。
    その気持ちを想うと有難くて、すぐには手をつける事はできません。
    先生はこの素晴らしいワインをどんな方(女性)と飲まれるのでしょうか。
    出来れば、先生のこのブログの中に出てきました
    「自分に自信のない方、でも道端のゴミを拾いゴミ箱に捨てるような清らかな人」
    であってほしいなと思います。(大きなお世話ですね)
    先生の手料理にワイン・・・ なんてステキでしょうね。

      ●十傳より→夜更けに長距離電話をかけながら、受話器の向こうとこちら側で乾杯するのもイイかもであります。耳を澄ますと遠くの遮断機の音がきこえたりして。

  2. >私メにはやぐ嫌われるようにならねばわがねじゃね

    「泣いた赤鬼」という童話を思い出し、涙が出ました。

    (……「アドバイチュ」ってなんか可愛いなー。)

      ●十傳より→浜田ヒロスケでありましたね。青鬼さんはイイ奴なんでしたね。山形県の高畠にヒロスケ記念館がございますです。弟の義父の葬式のとき通りかかりましたっけ。