2014
09.30

いろいろな死に方がございますですが、こたびの御嶽山噴火による死に方は珍しいものでありますです。

墓石ほどの岩の塊が降って来て、それに当たって死ぬということは、もう運としか言えないのであります。
当たらずに下山したお方も大勢いる中で、「なぜ、あの人だけが」と思うはずでございます。

前日に登ったお方もいるだろうし、八合目あたりで噴火が発生し、あわてて下りたお方もおいででしょう。
頂上に達し、ふぅーっと、ひといきつき昼ご飯を開いたとたんに、トドーンと噴火が始まったことは、もしも命に別状がなければ、ラッキーな瞬間に立ち会ったと喜んだはずであります。

同じ当たるにしても、ロト7などを当てる場合もございます。
「買わなければ当たらないよ」
とはロトだけでなく宝くじの挑戦者のお言葉。

「宝くじなどは当たらない方が良い」
とは宝くじ当選によって、人生が狂うと怖れているお方。

狂ってもイイから当たりたいと、多くの方々は「購入」という行動を取るのであります。
前向きに行動しなくちゃね!
と御嶽組も意気揚々と山頂を目指したのでありましょうか。

前もって噴火の予期はできなかったのかと、またしても責任を押しつけようという風潮が高まりつつありますですが、これは運でありますです。

その運のメカニズムを解明するという、社会的にはアホらしいことを目標においている私メには、じつに興味深い噴火でございましたです。
「ご遺族の心情を…!」
というお声もございましょうね。そういうお声に飽き飽きしてはおりますが。

行動せぬという選択も、正しくなくはないという一例かもしれませぬ。
消極的だからダメとは決めつけられぬのでありますから、「もっと積極的になりなさい」と押しつけられているお方も、運はそういうことではないと自信を持ってもイイかもなのであります。

  1. 運、考えさせられます。仕事がら現場監督なので、狭い山道を車で登り山頂でUターンし20秒ほど走行したら、今さっき通った道ががけ崩れで通行不可能ってことに出くわし3時間余りかけふもとに帰ったことを思い出します。ほんの2分もたっていなかったのに・・・・。
    今、生きていることが運に生かされているのでしょうか。

    ●十傳より→山で遭難しかけた時、ここで死ぬのと、生きてボケて死ぬのとどちらがしやわせかと考えたことがありますです。運を活かすもダメにするのも、それはご本人なのかもしれませぬ。

  2. 何事も好きな事して死ぬならば本望でしょう。無理やり連れて行かれて上った人は実に災難でありましたね。

    ●十傳より→またぞろマスコミどもが悲しげな作り声でもてあそぶのでありまょうね。

  3. まさに火山旅 上爻でしたな
    合掌

    ●十傳より→これで少女殺しもデング熱も話題性が失われたよーでございます。

  4. お山で骨となり灰になった方がどんなに…。
    連れ戻されて無縁墓に入れられたり仲悪い身内の墓に納められるのかと思うとやりきれません。

    ●十傳より→同情のし過ぎは運の毒かもであります。