2015
02.04

『ほととぎす 鳴きつる方をながむれば
ただ有明の月ぞ残れる』
後徳大寺左大臣

これを一般訳すれば
「ほととぎすの鳴く声がした方角の空を眺めると、たた有明の月だけが残ってましたよ」
てなモノでバカバカしくて鑑賞などしていられませぬ。

この歌は、陰語を知らずして訳せるものではありませぬ。

ほととぎす→ホトと伽をする→ホト=火陰でオマンコちゃんのことでありまして、火陰と伽をする意味でございます。つまりお女性のHのお相手をすることなのであります。
もともとホトトギスは明け方になってやっと鳴く鳥でして、学者本には平安時代の殿方は夜明けまでかかって、その声を聞く風習だったとか。
嘘でございます。
お女性を快楽にすすり泣かせるために夜明けになったわけで、いくら平安の雅どもでも朝まで一羽のホトトギスの「テッペカケタカ」の声に耳を傾けるほど暇ではありますまい。
ましてや、後徳大寺左大臣の時代は平安末期。平家が繁栄を極め、やがて源氏へと政権が移る激動期でございます。
ホトトギスの朝の一声より、「いまだけぞ、いまだけぞ」と温かき柔肌に埋没することでしか安逸を味わえなかったはずでございます。

織田信長は、鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
秀吉は、鳴かぬなら泣かしてみようホトトギス。
家康は、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。
すべて不感症のお女性とのHを指しているのでありますです。

さて、
鳴きつる方→鳴き鶴方であります。
鶴は若いお女性を指す陰語。

もう、これでお分かりてありましょう。
「快楽を知らぬ若い姫に絶頂を教え込もうとして、一晩かかったよ」という男の苦労を歌ったものでございます。
下の句の、
「有明の月ぞ残れる」とは、この下の句に月の文字が三つありますです。
突きまくったということなのでありましょう。
あるいは三度射精したのでしょうか。
いずれにせよ汗をしたたらせつつ夜どおしの行為だったことに違いはありますまい。
それでヨレヨレになり、「やっと帰れる…」と白んだ空を眺め、「こんなに苦労するくらいなら熟女にしておけばよかった」と悔やんだり、が、若いお女性に快楽を教え込んだ満足との入り混じった哀愁を歌にしたもので、その意味が分かる雅人たちが歌合などでクスクスと笑う様子が浮かぶではありませぬか。
「お月さんは残らはっても、アソコはカラカラであらしゃいます。そのおのこならみんな知ってる、えろう苦しい楽しい気持ち、よう歌にしてくれはりましたなぁ。源氏の猪武者には分かりますまいて」

しかし、なんとなく背筋が寒くなる恐い歌でありますです。

 

  1. 待ってました
    エロ百人一首
    無學の私にも、情景が浮かぶ和歌ですが

    開拓という官能の苦労と達成感が描かれておったのですな〜〜

    江戸時代まであったと云われる 日本の夜這い文化 復活しないかなー

    ●十傳より→復活しつつあるよーなでありますですが…。

  2. 「鶴」が若い女性の隠語というのは…「ツルツル」だから?鶴のように甲高い声で鳴くから?熟女だとどんな隠語になるのでしょうか…

    ●十傳より→今ふーだと地雷とかありますですね。

  3. んん〜?そのココロは??察しが悪くて申し訳ありませぬ。
    「有明の月ぞ残る」は「手練手管を用いたのに、ぱっかーんと開眼させることができなかったでおじゃる…」かと思いまひた。

      ●十傳より→ぼっかーんはぽっかーんでも、射精後の虚脱状態かもでありますです。