2010
09.28
誰かを愛することは、それ以外の人を愛さないことである…なんて書いたら「いえいえ違いますよ」と反論されそうでありますが、でも、やはり愛はそういう差別が付きまとうのだと断言いたすのでございますです。
「彼を愛しているから、あなたを愛することはできないの」なんてね。
恋愛は友達も親も兄弟姉妹をも愛さなくするパワーがあるものであります。
差別のない愛は、それは果たして愛でございましょうか。
「彼のことも、あなたのことも好き。愛している」
よく聞くことでございます。
「彼のことも、あなたのことも好きだからセックスするのよ」
こうなるのでございますよ。二股愛とか、不倫とかでしょうか。
「あなたのことを愛しているから、夫とはセックスできないの」
差別でございますね。でも、これが愛だと思うのであります。
では、憎しみはどうでありましょうか。
ヤツを憎んでいるから、おまえのことは憎まない…とはいきませんですね。
奴もお前も、この世の奴すべてを憎んでいる…ってことも可能なのでございます。
この場合は、「自分は憎まない」っていうことになりそうですね。場合によっては自分も嫌いってケースもありそうなので、憎しみには愛に比べて差別はないようであります。
ああ、画像はローマ駅にて、であります。
この話題とは関係ありませんでした。
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2010
09.26
画像はイタリアのベネチアでありますが、べつに恋愛論とは関係ございません。
でも、なかなかの場所でした。空気が違うのでしょうね。良い色に空が染まるのでありますよ。
恋もまた時と場所でムードが違うものであります。
けれど、ある時点から苦しさのほうが多くなるのはどういう理由なのでしょうかねぇ。
私はこう思うのであります。
「愛している」とか「好きだとか」と告白したというか、そう言ってしまった瞬間に恋は棘の芽がでるのだと思うんです。
よく女性から「オノさんはクールすぎる」と言われるのてありますが、それは誤解であります。
私ほどあたたかい男はいないと思うのであります。
クールだと誤解されるのは、きっと「好きだ」と言わないことが原因かもしれません。
好きなら、好きって言えばいいじゃないの! なんて叱られたりしますが、それは出来ないんのであります。
雰囲気で察してくれよ…と心のなかで訴えますが、ダメなのでしょうねぇ、それでは。
じつはですね。
愛の告白は、迷惑ではないかという気づかいもあるのであります。
「自分が言われたら迷惑なの?」と逆襲されそうですが、そうなんです。けっこう嬉しくはないんですね。
多くの雑誌に、恋はクロスワードパズルのようなものだと書いてきました。
それは、好きだという答えを導き出すことが恋の喜びだと理由も綴ってきましたですね。
だから「好きだ」と告白されると、恋からゲーム性が失われ、興味が薄まるわけです…ということも書いてきました。
が、それだけではないんですね。
じゃあ、なんなんだと訊きたくなりますか?
その「なんなんだ?」は十傳クラブブログに載せております。
どうぞつづきをご覧ください。
その前に、少しの間、
あなたの方でも、「なんなんだ?」を考えてみてください。
愛が苦しさに変わる瞬間、それはいつだったか。
セックスをして「好き、大好き、愛してる」なんて言った瞬間だったのではありませんか?
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2010
09.26
あまりおヌードだけでも芸がないので、そろそろ占いで日露戦争を読み解くヤツも復活させようかとおもうのであります。
明治維新から30年がたち、日本は興亡の岐路に立たされていたのであります。
全世界が敵でございました。
アジア諸国は西欧諸国による植民地支配を余儀なくされ、中国もインドも、イギリスやフランスなどに食い物にされていたのでありました。
日本も例外ではなく、不平等条約に調印させられ、いわば骨抜きの状態。
中国やインドと違っていたのは四方を海で、その海が外堀の役目を果たしていたのでございます。
が、その外堀も崩壊の兆しがありました。
ロシアです。
ロシアは不凍港がありませんでした。凍らない港が喉から手が出るほどほしかったのであります。
ロシアが遼東半島に進出し、旅順を掌握しようとしていたのも、凍らない港が欲しかったためであります。
ここをロシアに握られますと、日本は制海権を失われ、ロシアの植民地になってしまう危険がございます。
こうした危機感は明治24年の大津事件で高まったのでありました。
なかなか、奇門遁甲になりませんが、ここは基本的な知識としてたいせつなところなので、我慢してくだされ。
そしてこのつづきは、十傳クラブブログでお楽しみくださいませです。