2010
12.17
12.17
画像は、夏の日のロメオでございます。
あの眩しいほどの光はどこへやら。今夏の狂ったような暑さの記憶はもう遠く薄れているのでございます。
快楽に関する記憶が薄れるのは分かります。
Hのこともそうですが、美味しい食べ物もなかなか記憶に定着いたしませんですね。
美味しいということは覚えていても、どのように美味しかったのかは、すぐにあやふやになります。
覚えていることは飽きにつながり、それは人類の滅びにつながるからであましょうか。
飽きは愛にも連動するのかもしれませぬ。
結婚してしばらくすると家庭内Hがなくなるのは、愛という飽き…いや安心感があるからなのでしょう。
Hをしなくても関係が維持できるからということもあるのでありましょうか。
対して恋はといえば、去られるかもという不安、別れるという不安定な関係から、おのずと求めあうことになるのでありましょうね。
いや、それにしても夏の暑さを実感として憶えていないのはどういうことなのでしょうか。
夏の日、サングラスをかけて散歩していたロメオは、いまや寒さに震え、暖かな部屋の中から出ようともしないのであります。