2011
03.02

ok_anna141画像は梅宮アンナと別れた恋人の羽賀研二であります。

こういう画像は子供にとって悪影響なのではないかという考え方が最近は主流を占めているような気がするのであります。

いやいや、以前も…そう私が二十歳代の頃もありましたねぇ。頭ごなしにモラルを押しつける人たちが。

男遊びをしている女の子に対して、真面目な男子が、
「将来、生まれる子が可哀想だ。自分の母親が尻軽だったてのは」

なんて立派そうに語っていたものです。

浮気や不倫している母親は、子供を悲しませるだろう。子供に悪い影響を与えることになるだろう。

このように、違うよなんて反論のできないことをいうモラリストは昔から存在していたようであります。

が、ではモラルに忠実に生きている両親の子供は、すくすくと成長するのでしょうか。
これはイエスとはいえません。
モラルのなかにも悪さはあるわけです。

と、いうより、不倫していようと、それは子供にとってひとつの質問体だと考えれば、それも一冊の生きた参考書なのであります。
親の不倫で傷つくことも子供にとっては訓練ではないかと、私は考えるのであります。

もちろんバレないようにするのがベストではありますが。

子供のために、欲望を我慢するってのは、言葉としてはイイのですが、胡散臭い嘘でもあるようです。

善とか悪という二元的な見方ではなく、自分の親というものは、そういう人であったか…と立体的にとらえてもらえるなら、それも悪くありませんです。

と、いいながら「お前は罪を逃れる口実を見つけている!」と指摘されるかもしれませんけどね。

モラルばかりでは生きた心地がいたしません。
表面はモラリスト、裏に回るとケダモノ。
これほどエロチックな生き方はありませんですね。

グループの「氣志團」がナチス親衛隊を連想させるコスチュームを着ていたからという理由で、敵国アメリカに指摘され、頼まれものないのにユダ公たちに謝罪したらしいのでありますか、しだいにヤバイ風紀が世界を覆いつつあるようであります。

官能の美酒をはやいところ堪能すべきかと存じますです。

人生を、たった一つの質問なのだと考えると、いろいろな見方に弾力が出てまいります。
罪人に対しても「なるほとねぇ」なんて共感するところも、人生を質問だという見方をしたときに生まれますです。

すると、その瞬間から、罪人はひとつの質問となり、この世に生まれた存在の証になるというあんばいであります。