2011
04.22

被災地、釜石からであります。
従弟の家の瓦礫撤去のお手伝いに来たのでありますけれど、あまりの惨状に頭脳は働きを停止してしまったのであります。

街はあれから一か月と11日ほど経っていますが、やっと車が通れる程度に片づけられただけで、かんぜんにゴーストタウンと化しているのでありました。

しかし、まずは立ちションをいたしました。
私の立っている場所で四人の折り重なった死体が発見されたとのこと。

津波は街の中心部をたかさ三メートルを超えて襲ったそうなのであります。

愛とかセックスとか、この自然災害の前ではなんともくだらないことのようにおもわれるのでありました。
愛で悩んでいるならば、この壊滅した街を眺めればたちどころに治るはずであります。

信号もダメになったまま、街は見捨てられているのでございます。「おーい」
と叫ぶと、死んだ者たちが顔をそろえて窓から笑顔で手を振ってくれるような気がするのであります。

大量の死者は街全体を息苦しい空気にさせるのでありました。

従弟は言いました。
「火葬の時なんだけど」
亡くした嫁さんを火葬にふしたときのことをいうのであります。
「火葬の扉が閉まらなくなってお棺が飛び出してきたんだよ。なんど閉めようと係の人がやるんだけと、まだ焼かないでっていうようにお棺が飛び出してくるんだよ」
と。

瓦礫のなかからは誰のものとも知れない写真やそんなものがいくつもいくつもでてくるのであります。

思い出もすべて亡くなってしまうのでございましょうか。

作業の手をやすめ、瓦礫に座り込んでそんな一枚一枚をながめるのでございます。

「ラーメンたべる?」
といわれ、そういえば朝からなにも食っていないことに気づき、車からガスボンベを取り出し飯盒炊爨の真似事をするのであります。

街の中心地もこのような有様であります。津波は、このアーケードより上まで押し寄せたということであります。

生まれて初めて目にした光景であります。
生きて死に、生きて死に、生きて死んでいく。
ただそれだけなのでしょう。

「頑張ろう」という掛け声が、なんと陳腐で軽薄に聞こえることか。
が、それを呟くことも愚かしく、知ったことじゃないと黙々と作業を続けるだけなのでありました。