2011
04.25

ようやく従弟の家の一階部分の瓦礫は撤去できたのであります。

ここで従弟のお嫁さんと三人の看護婦さんが死んだということであります。

けれど、まずは壁紙を貼ったりすれば開業はできるとのこと。
イイ忘れましたけれど従弟は医者なのであります。

が、瓦礫を撤去しても、ガスも水道も電気も復旧していないのであります。

開業医だとて甘えてはいられないのであります。

家の周囲はこういう惨状。
従弟の家をどんなにキレイにしたところで、電気もガスも水道もダメなのであります。

従弟は近くに診療所を借りる算段がついたと言っていますけれどなにかが違うのでございます。

そういうことをしている場合ではないような気がするのでありました。

自分の家だけの瓦礫を撤去しても、なんにもならないのであります。
こういうときには公民館などに避難している人たちに対してすべきことがあったのではなかったかともおもうのであります。

この数日、私たちがしてきた作業は無為だったとも思えるのでありました。こういう時は原始的な人の結びつきを優先すべきだったような。

終わったなぁと思うのであります。
諦めともつかない気持ちであります。が、この一種の終末感は、まだ若かったころから知っていたどこか懐かしいおもいもするのでございますです。

ありゃりゃりゃ、これは恋とおなじような気持ち。いずれどの恋もおわるんだよなぁ、という気持ちとどこかで結ばれている諦観とでも言いましょうか。

釜石からモリオカへと向かう二時間ほど、私たちはおもえばひとこともしゃべらないのでありました。
通い慣れはじめたこの道も、ふたたび疎遠な道になるのでありましょう。