2011
07.06

隣に偏屈な老人が住んでおりまして、真っ赤な浴衣を着て車ででかけましたので、そのお庭をのぞきましたらば、紫陽花がようやく花を咲かせているのでした。

鎌倉ではもうすでに紫陽花は満開をすぎておりますです。

偏屈老人の庭の紫陽花をうちながめるほどに、今日は「人生もだよなぁ」などと考えさせられるのでありました。

生年月日が同じなら、運命も同じという理屈ですよね、なんて鬼の首でもとったように大騒ぎする人々がおりますが、世の中にはおなじせい年月日の人なんてたくさんいるのであります。その人たちが同じ運命てないことぐらい、考えなくても分かることなのであります。

いやいや、大騒ぎする人たちは「だから占いなんてあてにならない」ということを言いたいのでありましょう。
ソレに対しておバカな占い師も「いいえ、生まれた時間がちがえば運命も異なるんザマスのよ」なんて自滅的なことを言ったりして対抗いたします。

同じ生年月日という種と思えばいいのであります。
同じ種でも、育つ場所が違えば、偏屈老人の庭の紫陽花のように、やっと今日になって開花したりするわけであります。
風俗で働く女の子に、とても高貴な生年月日の子がいて、驚いたことがありました。
けれど、彼女がもしもちゃんとした家のお嬢様だったらどうかといえば、お父さんに依存して暮らしていたはずであります。
そういう依存できるお父さんがいない家庭だったために、ある意味、多くの男に依存できる風俗で働くことになったのかもしれません。

このように、おなじ生年月日でもさまざまなのであります。
それを推理していくのが推命学というわけであります。

いまのところ、こうやって推理を楽しめるのが四柱推命ではないかと思ったりいたしますです。