2011
08.30

とおりがかりのオヤジに、カメラのシャッターを押してもらったのであります。
「ここ名所旧跡なんでっか?」
ときかれましたが微笑でかえしました。

二十歳の頃から三年ほど住んでいたアパートが、ここにあったのであります。現在では画像のように更地。
自転車でなければ探すことはできなかったに相違ありませんです。
気温35度の猛暑では、徒歩で行きつ戻りつして30年前の面影をほじくりかえす気力すら湧かなかったでありましょう。
けれど、マンションではなく更地になっていたことに、かすかな安ど感をおぼえるのでありました。

記憶の洪水を、しばしのビールで支えつつ、日ごろの習性からハズれた行動にでたのであります。
知人に自分から電話することは滅多にございませんです。しかし、その日の心におきたちいさな爆発は、私メに電話をかけさせるという行動を起こさせたようでございます。

「まぁいま京都にいらしてますのん? ほしたら、そこにいきますよってに、まっとくれやすね」

恋愛するには力不足、さりとて軽々しくHするわけにもいかない相手というのは男女間において少なからずそんざいすることでありましょう。
そういうお女性とは、いつの間にか友情関係が成立するようであります。

記憶のわずかな思いちがいを、彼女の記憶によって修正しながら、
「そうか、それであの時はそういうことになったのですか」
と、二人の間に、恋というものがあったならば、その恋が開花せずに蕾のまましおれた理由を、30年後に解明しては、ため息とも納得ともつかないおもいにひたるのでありました。

真夏の水炊きも悪くはありません。
冬なのか夏なのか曖昧にさせる水炊き料理は、思い出を語り合うには最適かもしれないのでありました。

当時、京都には美人はすくなかったと記憶しておりますです。
こけしのようなのっぺり顔が多かったのでございます。
が、見回すと、どのお女性も美しいのでありました。

30年たって美人が育ったのか、私メの基準値がひくくなったのか、はたまた酔いがそうみせているのかについて語るのは、また別のお話になるのでございます。