2011
10.21

いつしか、ここ湘南地方も、見上げる木々は、このように葉を落としているのであります。

紅葉もせずに落葉を早めたのは先の台風が原因しているのであります。

オタノシミもしらずに死んでしまったようなもの。花もわるくはありませんが、冬をまえに葉が色づくさまは、崇高ななにかを語りかけてくれているような不思議な気持ちにさせるものでございます。

塩分を多分にふくんだ雨風が、湘南から秋の景色を奪ったのであります。

もみじも、ご覧のありさま。

都心からおデートを楽しむためにいらしても紅葉を楽しむことはできますまい。

それでも北鎌倉あたりだと、山が海からの雨風を遮っていますゆえ、すこしは赤いもみじを愛でることは可能かもしれませんですね。

いや、都会の毒素をたっぷりと含んだ愛欲のしみついたカップルの吐く毒息が、やっと色づいた紅葉をむざんにしおらせるかもしれません。

幸運の呼吸法というものがございまして、それは息を吐くことだけを意識しながら駈け足をすることであります。イメージとして、自分の毒息のために草花を枯れ果てさせるのであります。
吐けば、自然に新鮮な大気を吸い込むことになるわけですから、運のクリーニングというわけであります。

しかし、紅葉が壊滅していては、幸運の呼吸法をする気持ちにもなりません。
愛毒にまみれたカップルの吐いた二酸化炭素を吸ってしまう危険も予感されるのでございます。

まさか福本銭の穴から息呼吸しても、それはアホというだけでございましょう。

すこしヒガンでいるのかもしれませんですね。
秋のデートをする奴らを。
木々にかこまれた小径を腕などくんでそぞろ歩き、江ノ電の線路わきにある和菓子屋で緑茶など飲みほうけ「さっさとラブホにでもいけ!」と心のなかで蹴飛ばしたい気分というのが、正直なところかもしれませぬ。

しばらく純愛ってやつから遠ざかっておるのであります。
もはや望めないかもしれません。
もともと純愛ってものが存在するのかどうかも疑問であります。

紅葉できずに散っていったもみじ葉を、どこかで羨む気持ちもあるようでありますです。