2011
10.30

ことしも神田古本まつりが神保町界隈でひらかれております。
ああ、秋も深いのだなぁ、としみじみイイ気分になるのであります。

恋は一冊の書物のようだといわれていますです。私メもひょっとして口走ったかもしれませぬ。

けれど、それは終わった恋を意味することでありまして、現在進行中の恋に当てはめることは無理かと思うのであります。
自分の恋を、「昨日までは本当の恋のプロローグに過ぎない」なんて思いたいのは分からなくもないのですが、そう思った次の瞬間にフラれてしまうことだったなきにしもあらずであります。

「キミの魅力に溺れているよ」
とメールしながら、あくまでも反応をチェックしながら軌道修正を加えていって、なんとか恋らしきものになることが多いのであります。

書物の登場人物として、コテコテに酔ってしまったらお手上げであります。

が、そういう自分を抑制できるとは、なんと汚らわしいことかとニタニタいたしますです。
いや、そうじゃない。
相手の気持ちを恋に酔わせるためには、自分が穢れなければならないこともあるのであります。自分が福本銭になればイイのであります。
誰もが隠しもっている劣等感をほどき、ひとつひとつ薄めたり消したりすることで、お女性は信じられないほど美しく、そして芳香を発するように、ほんらいの個性というか魅力をとり戻すようなのでございます。
私メだとて原発の廃処理物質からフランスやアメリカが核兵器を作り出すように、穢れながら、女殺しの何かが体内に宿するかもしれませんです。

しかし最終的に福本銭になりすぎて、ポイっとフラれる結末。
それでイイのかもしれません。
それでなくてはなりません。

最近は、もう本を読んで感銘することはトンとなくなりました。
コミックすら読みません。

けれど、古本まつりの人混みの熱気におされて、一冊格安な本をもとめてみました。
これで人生が変わるかどうかは…。
そんな期待も、古本の魅力の一つでありましょう。