11.01
画像はどこだったか、イタリアのコセンツァだったかどうか。通り過ぎた町であります。
そして画像は、本日のテーマとは関係ございません。
というか、このひなびた町の画像で、すこしでも心が安らえばと思ったのであります。
なにか小説の大きな賞の発表でもあったのでありましょうか。
ほんじつ、たてづけに、
「ショック!」
「小説ダメでした!」
「自信あったのに…」
「上野でやけ酒飲んでます」
というメールが送られたのであります。
私メのお客様には、小説家志望の方が多いのであります。
本日は、私メもイライラしていたのでありました。
小説家志望以外の方からも「庚申の日のせいでしょうね」とイライラしているとのメールもいただいております。
ありがとうございます。
お礼を言うのもヘンですが、易者としてそういうときにサンドバッグ代わりにしていただくのは、これ易者稼業の極みでありましょう。
が、庚申の日だとはいえ、私メもいっしょにイライラしていては始まりませんですね。
さて、これから年末にかけて、まだまだ各種の賞や、国家試験の合否の発表があるのであります。
落ちて絶望にくれる方々から、連絡があることでありましょう。
けれど、冬とはそういう季節なのであります。
花も絶え、木々も葉を落とし、季節の死があるのであります。
春になればまた花が咲くかといえば、そうとは決まってはおりません。
冬の寒さにやられて死滅する植物も多いのであります。
問題は、願いがかなわなかった絶望のあとの、身の処し方でありましょう。
死滅する植物のようにならないためにも、落ちたという現実は、自分をどこに向かわせようとしているかを、カッと目をみひらいて、見つめなければなりませんです。
神などに手を合わせてもムダ。
世をはかなんでも、なんにもならないのであります。
とは言いながら、やはり夢が破られるのは、自分の存在すら疑いたくなるくらいに辛いものでございます。
そんなとき、画像のような滅びたものを眺めると、ふたたびあたたかなモノが、すこしは心に注がれるのではないでしょうか。
ああ、私メはそれら何人かの人に、メールで、厳しげなことを送ってしまいました。
おゆるしあそばせ。
後悔も反省もいたしませんけれど、もっと深い気持ちでいたかったのであります。やわらかな気持ちでいればよかったとおもっております。