2011
12.27

だいたいの用事をすませ、雪のモリオカをあとにするのでありました。

年末の上りの新幹線は閑散としております。
雪景色は福島あたりまで続いているのでありました。

いろいろとお女性たちを回想するのには、雪げしきというものは、すこしだけ点数が甘くなるのは、まだ心に若さが残っているということでありましょうか。

仙台から乗客は増えました。
うふふ、なんて甘い囁きが聞こえたりしていたのであります。

みると三十代とおぼしき男女がむつまじく愛を語っているではありませんか。

「非国民!」
なんて、昔なら蔑まれたのでありましょうか。

が、雪景色にはこういう姿もなかなか良いのであります。

しかし、たぶんもはや私メはこのような優しさを表現することはできないのだろうと、やや淋しい気もしないこともありません。

なんども書きましたけれど、
「わたしより、ワンちゃんの方がだいじみたいね」
とか、
「そんなにロメオだっけ? イヌのことが気になるなら帰っちゃったら?」
とか、
「十傳さんのイヌが短命なのは、可愛がりすぎるからじゃないの?」
とお女性から、皮肉ともつかない言葉を投げかけられたのであります。

自分としては、それほどイヌに耽溺しているつもりはございません。

たんに、こうやって温め合いながら寝そべっているのが気持ちいいだけなのであります。

何も言わずにこうしているだけで満足し、満足させてくれるお女性がいたなら、それはそれでとても嬉しい存在となることでありましょう。

言葉が通じないという欠落を、おたがいの肌で感応しあっているのかもしれませぬ。

ならば言語のことなる外国のお女性ならばどうなるのだろう…と想像しますが、否定的な結末にしかならないのは、イヌと戯れる楽しさは、言葉が通じないこととはまた別のことかもしれませんですね。

支配と従属関係だからかもしれません。
だとすれば、幸せは主従関係のなかに詰まっているようでもあるようであります。

2011
12.26

冬は放屁の季節であります。
太くて長い屁が馬糞のように漏れ出てしまうのでございます。

お女性だって例外ではありますまい。
歩行中に音無しの放屁をしたのを忘れていて、カフェなどであついコートを脱いだとたんに、こもっていたニオイをただよわせる季節なのであります。

もしも、いっしょにいた男が、いつもは吸わない煙草に火をつけたならば、それは優しい行為だと気づかねばなりません。
「煙草の匂いで、屁臭をごまかしてくれたのね」と。

冬の屁というものは、なぜか大切な時にコキたくなるのも事実であります。
よりによってこんなときに…という時に、大腸を裏側から刺激し、耐えるのが苦しいほどではないでしょうか。
それでいてトイレにしゃがんでも出てくれないのであります。
ふたたび彼のとなりに腰かけると、またしても腸内を重くえぐるのであります。

私メも同様であります。
都会の駅の階段をのぼりながら、一段ごとに放屁をしていたのでございます。
都会の喧騒に音もニオイも消されると信じておりました。
ところが、後ろをのぼっていたオヤジが真っ赤な顔で、
「いい加減にしろ!」
と私メをにらんだのでございました。

屁は恋の大敵ですが、しかし、屁をし合う仲というのも、なかなかオツなものであります。

「オノさん、屁していい?」
と尋ねられ、こたえるよりさきに、
ブホホーンと放たれましたから、私も彼女が恥にならぬようにという心遣いから、
ブドブトブドトド!
とたれてやりましたら、
「くっさーい」
だと、ぬかされたものであります。

いちど放屁の関係になりますと、それは真の信頼で結ばれた仲になるのかもしれませぬが、残念なことにエレガント性が失われるのは仕方ないのでありましょう。

やはりお女性は放屁対策を何とかして欲しいのであります。

などと思い出しつつ、結氷の湖畔をめぐりながら、心おきなく放屁をかますのでございました。

2011
12.24

イブは残酷な日でもあるようであります。
愛があきらかになるからであります。

愛されているかそうでないかがハッキリと提示されるからであります。

たとえば不倫関係では、この夜をいっしょにすごせるかどうか。
過ごしたとしても、お互いの気持ちに無理はないか、そういうことが明白になる夜なのであります。

昼間にデートしても、日が暮れるといそいそと自宅に帰っていく男の後ろ姿を見送るお女性も多いかとおもうのであります。
「いちどくらい振り返ってもいいじゃないの」
と思いつつ、それでも男か振り返り、バイバイと手をふられたとしても、
「無理してる」
なんてヒネてしまうのであります。

画像のお家のように、キレイだけれど、誰も住んでいないおもちゃのお家…まるで自分の愛のようだと、しみじみと淋しくなるかもしれませんですね。

私メはロリータではけっしてございません。ございませんが、栗山千明のおヌードを眺めつつ、イブには、若い子のキレイな裸体がよく似合うと感じるのでありました。

愛の醜さに染まってしまうと、イブの夜に復讐されるのかもしれませんですね。

一人ではないと自分を誤魔化すために、仕事を入れてみたり、コンサートのチケットを入手したり、あるいは馴染みの店で、やはり孤独な男どもと騒いだりするのかもしれません。

はやく明日になればいい、と。

が、恋人とふたりで過ごす場合も、どこか空虚な雰囲気か付きまとうのは事実のようであります。
もっと愛されるはずなのに…と。
いつものデートより濃密であっていいはずなのに、と。

ずっと若い頃に、はじめて好きな子とイブにデートをしたのでありますが、もしかすると、夢のようなイブの夜は一生でいちどなのかもしれないのであります。

今年はモリオカ。
とあるカフェで盛岡珈琲というものを喫するのでございました。

砂糖とミルクを加えることで味に奥ゆきがあらわれ、酸味が広がるのであります。

窓の外は雪。風もあるのであります。
雪にうずもられて時間だけがながれていく贅沢さを味わっているのでありました。