2012
02.08

贅沢すぎる光がスペインには溢れているのであります。
いつも、心の扉をうすめにあけていたとしても、この土地にくると部屋の暗部までいたいほどの光の洪水が飛び込んでくるために、忘れようとしていたことが葉裏をかえしたように、自分自身につきつけられるのであります。

いちど歩いてみればわかります。
「ああ、あのときの彼女の言葉は、これを告げたかったのか」
と一瞬にして理解されるはずでありますから。
それどころか、背負っていた心の苦しみの理由まで分かってしまうのであります。
つまり、「じつはうそぶいていたのは自分の心だった。ほんとうは激しいほどに愛していたのであったのか」
という具合にであります。

束になって、直撃する光の逆流に心の扉は開きっぱなしとなるわけであります。

ここに情熱の国、スペインとたたえられている理由があるようであります。

街角のウィンドーを眺めていましたら、ベルベットの敷物にきらきら輝いている宝飾に胸を突かれたのであります。
別れた人妻の面影が、そこに重なったからであります。

赤や緑や銀色に輝くそのちいさな宝飾は、人妻がそこに身をかがませているようでありました。
抱き寄せると思いのほか強い力でしがみつくお女性でございました。
全身をさざ波だたせながら背を汗でぬらし「どうなってもいい」という言葉をとぎれとぎれに漏らしては、それでもはなれず、なおも激しく反応するのでございました。
かえりの駅までの道をよろけながらついてくるお女性でございました。

彼女との関係は、不倫ですから、情熱はきわめて危険でありました。
距離感をたもたないと情熱の重さにやられて、ほんとうに危険な状態になりかねません。

けれど、愛情というものは不倫であれ、普通の恋愛であれ、さかいを踏み越えて純愛へと向かうものであります。
快楽だけの共有者とわきまえていても、ゆく手には恐ろしい純愛がまっているのであります。
純愛とは清い愛とはちがうのであります。
薔薇のような芳香でひきよせながらも刺をもった愛であります。

滞在したホテルのベッドの足もとに、このような裸婦の絵画が飾られていたことも、私メの心を開けてしまった原因かもしれませぬ。
それとも、やはり遠い異国でいだく郷愁というものでしょうか。

窓ごしに、その宝飾をしばし眺めていたものでございました。

「わたしのこと、すこしは好き?」
と、その人妻に聞かれたものでありました。いくどとなく問われたのでございました。
好きだと答えればいいのであります。
とても簡単なことであります。

単純に遊びだと認識していれば「ああ好きだよ」と答えていたことでありましょう。

が、私メはそのたびに邪険にしてきたのでございました。
そう尋ねるお女性を、いまいましく思ったこともありました。

「やめてぇ~愛してないなら♪ やめてぇ~やさしくするのは~♪」
と突如、辺見マリの「経験」が記憶の奥からとびだしてきたのでありました。

トレドの白い街はシベリアからの寒気がのしかかり、光すら冷たいのであります。

取り返しのつかない過去の想い出に、私メは、いつになく忸怩たる思いに浸っているのでございました。

異国の街角には、失った大切な想い出という遺骨が、宝飾品に化身してしずかに眠っているのかもしれないと、そのようなメルヘンを紡ぐ我が心に苦笑するのでございました。

ジプシーがいたるところでギターをかきならし、風にのって高く低くとどいてくるのでございますです。