02.12
いろえろと想い出はございますが、鮮烈なものはフラメンコでございましょう。
ユダヤ人地区の奥まったところに、その店はあるのでありました。
店の前にはカスタネット売りの背の曲がったお婆さんがおりまして、なにやら私メに話しかけるのでしたがわかりませぬ。
富士額のくろんぼ通訳のホセさんは「時間外ですから」とついてはきませんでした。
スペインというところは残業すると罰金が科せられるのであります。
働き過ぎるとバカにされるお国なのでありました。
店内は撮影禁止、手拍子もダメ。客はただジッと女たちの踊りを見守るばかり。
やっと隠し撮りいたしたのでありました。
バランバララン、バラランバランとギターが悲鳴のようにかき鳴り、痛切な歌声がはじまるのでありました。踊り子は手拍子とともに立ち上がり、嵐の目のように靴を叩きつけながら虚空をにらんで舞うのでございます。
12拍子がとちゅうで変調し、いつしかふたたびリズムが戻るという奇妙に息が狂ってくる音調なのでありました。
CDでは聞くことのできない激しい暴力のような踊り。
見てはならないひどくエロティックな、誰かを求めたいのに誰もいないというような孤独の悲しみが伝わってくるのでございます。
飲んだこともない不味い酒。ひとくち飲んだだけで悪酔いする得体のしれない真っ赤な液体でございます。
それなのに官能を刺激するのでありました。
ゴクッゴクッと飲むのであります。
激しいのにいつしか眠気にさそわれる不思議な空間でありました。
私メは店からの帰り道を忘れてしまったのでありました。
小路がいくつにも折れ曲がり、ユダヤ人地区のヤバイところに迷い込んだようでありました。
後ろから三人連れの男がついてくるではありませぬか。
殴るか、逃げるか、ひれ伏すか。
原始的な陶酔の余韻がまだ脳内になびいておりまして、ポケットのなかで私メは握り拳を作っておりました。
たとえやられても一人は道連れにしてやるぞ。
喉仏をへしおるために親指の準備をしていたのでございましたのでした。
人間五十年~♪ケテンのうちをくらぶれば~♪夢幻の如くなり~♪なのであります。
なにかあったときのまんがいちを考えて、通帳など全財産を預けた老母の顔が浮かんでは消えるのでありました。
その何かがいま起ころうとしていると覚悟を決め申したのでございますです。
が、神は私メを見捨てなかったようでありました。
ユダヤ人の経営する飲み屋があり、そこに逃げ込んだというわけであります。
酒なら、日ごろから鍛えおりますです。
出された、やはり赤い強いアルコールを一気のみ。計三杯飲んだのでございます。
以前、博多で同じようなことをしたら、店の連中が拍手してくれましたが、ユダヤ人地区でも同様でありました。
最後に腹を切るゼスチャーの大サービスまでしてから、ホテルの名刺を見せたのであります。
店主の親爺は臭い息で、丁寧に帰り道の地図を書いてくれ、それにしたがって、泥酔寸前の私メはなんとか主要の道路に出ることができたのでありました。
お土産のフラメンコの置物を眺めつつ、あの夜のことを思い出しているのであります。
ユダヤ人の文化みたいなものを、軽々しく扱ってはならないと思ったりしておりますです。
趣味でフラメンコをしている日本人がおりますが、これはユダヤ人にとってはバカにされることと等しいのではないかと考えるのであります。
ジャズもしかりであります。
なんでもかんでも興味あるからというノリでチャレンジ精神を正当化するのは正しくないような気がしておるのであります。
そういえば占い師で銀座ジプシーがいたなぁとなつかしく思い出しました。
彼は片足が不自由で、ガッチャンガッチャンと金属の義足をならして歩いていたものであります。
身体に不自由のある彼ならば、あるいは虐げられてきたユダヤ人の魂を理解していたのかもしれませんです。