03.04
震災ではございません。
散歩の途中にみつけた風景なのであります。
廃墟が藤沢の中心地に存在していたことに驚くのでありました。
「あなたとは、もうやっていけません」
という別れを切り出されるのは、男として悲しいような、しかし悲しい気持ちの奥の奥には悦びも混じっているのであります。
男と女が愛し合う時、それは官能の一致も大切ですけれど、魂の融合もたしかに存在するのではないでしょうか。
それが、かみ合わなくなったとき、別離が浮上するのですが、いままで許しあい、いや、その欠点だからこそ愛しえたという場合もございます。
人の心には、廃墟のような何かがあって、その何かのために結びついているのかもしれませんです。
理屈では否定すべきことでも、
「おお、オレもそうなんだよ」
「でしょ、でしょう?」
その関係が恋からはじまろうと肉体からスタートしようと、この魂の一致が、愛の柱としてなければなりません。
他の誰にも分からない廃墟を共有しているからこそ、離れようとしても離れることができず、憎たらしいのに愛していまうという現象に不思議を感じるようであります。
この廃墟が失われたとき、
「あなたとは、もうお仕舞い…」
てなことになるのでございますです。
たとえば、相手にもっと好かれようとしてジムでカラダを鍛えたり、いやいや、幸せにしたいために生活を向上させようとしたり、いやいやいや、いままでよりずっと優しく接したときに、共有していた廃墟が消失するのではないでしょうか。
昨日まで、死んでもイイと、誰にもしたことのないようなフェラをしていたのに、そこに別人を感じてしまうのであります。
熱く濡れていた何かが、みるみる冷えて、不快感すら覚えるのであります。
笑い転げながら幼いキスを交わし、一晩中手をつないで眠ったり、失敗して焦げた料理を美味いと、美味いと食ったことが、前世の夢だったように思えるのであります。
藤沢の廃墟も、もう来月には消えていることでありましょう。
そこには新しい住人がすみつき、そして新しいけれど、同じような行為を繰り返すことでありましょう。
私メは、この廃墟に立ち、しばし見惚れていたのでいたのでございますです。