2012
04.02

モリオカを歩いていましたら、
「ええっ、ここが解体されるの…!」
と呆然とする風景が目に飛び込んできたのであります。

わが青春の日の象徴とさえいえる光フェアビルだったのでございます。
その後、人手に渡ったり名前を変えたりしながらも、建物自体は存続しておりましたから、たまに昔日の思いに浸れたのでございました。

ファッションビルでありまして、そこの売り子さんたちを狙って、高校生だった私メは連日のように通っていたものでありますです。

彼女らは、私メより5才も6才も年上でしたから、いまでは60歳すぎでありましょうか。

この解体現場をみて、どのように思っているのか。

いやいや、お女性さんたちは、男のように過去を懐かしんだりする楽しみを知らないのかもしれませぬ。
壊れゆくもの、滅びるものには、さっさと見切りをつけて未来を見つめるようでありますです。
男に対しても、「この人はもう落ち目かも」と察すると、手のひらを返すように冷たくなる習性であるようであります。
本人は、それに気づかず、
「ちがうわ、あなたが成功者だろうと、失敗者だろうと関係ないの。わたしは愛し抜いたの。それだけよ」
という感じでございますです。

ふりゆくものはわが身なりけり。
いえいえ、あなたも私も同様に古りゆきつつあるのですよ。
とスクラムを組みたいのでありますが、解体現場には私メだけがたたずみ、カメラを向けていることに不思議なまなざしを投げかけるのでございました。

画像はバルセロナの、アントニオ・ガルディの傑作と言われているサクラダ・ファミリアでございますです。完成までにあと百年かかるとか。
見物客でごったがえしているのであります。

が、私メには、光フェアビルの解体現場と同様に感じられるのでございますです。

過ぎゆく一切の過去は美しいのであります。

いまごろ、彼女はどうしているのだろうか。
老いて孫の手を引いているのだろうか。
それとも女経営者として頑張っているのだろうか。
病気ではないだろうな。
まだあの歌をうたっているだろうか。
ヒステリーのクセはすこしは治ったであろうか…。

と、思いだすうちに、「ああそうか」と気づくことがございます。
「あの言葉の意味は、もしかするとそういうことではなかったのか」と。

解体されてから気づくことは、とても多ございますです。