2012
04.18

軍艦島の北に、池島炭鉱跡がございます。
船は、その島を目指しているのでありました。

この眺めは絶景なのであります。
心に傷がなくても、傷心の気持ちになるのでありました。

長崎市からほど近いのであります。
その昔、迫害をまぬがれたキリシタンたちも、この海の絶景を眺めていたことでありましょう。

船はしずかの海をほんとうにしずかに進むのであります。
デッキに立つとこころよい風が、ほつれた髪をなぶらせるのでございます。

いま心臓マヒで死ねたら、どんなに幸せだろうかと思うのでございました。

船には10人足らずの老人だけ。関西方面からの、やはりくたばりぞこないのアマチュアカメラマンであります。

これが、池島でございます。
湾は、じつは鏡池という池だったらしく、そこを切り裂いて湾にしたのだとか。

午前中の淡い日差しが、幼い頃を思い出させます。
「明日はオノ君を当てるからね」と女教師に恐れを抱き、化病して学校をさぼったときの、安心感と自由と、うしろめたさの混じった気持ちが、そっくりそのまま戻ってくるほどの、透き通った空気であります。

池島にはまだ数名の人間が住んでいるのであります。
インドネシアからの炭鉱の留学生の研修を、この島で行っているとか。
「ありゃーん、こったなどこかぁ」
「オラ、やんたじゃ。日本っていうから来たっつうのに、こったな淋しすぎるところはやんたやんた」
「オナゴもいねしなぁ」
なんて言葉が聞こえてきそうであります。

島には、五人の子供がいるらしく、それは大切にされておりました。

炭鉱夫になろうとしているのではありませぬ。
トロッコで坑内に入るには、こういうコスチュームをしなければならない規則らしいのであります。

坑内と聞いただけでエロチックな気分になるのは私メだけでありましょうか。
暗くしっとりと湿り気のある穴に、小人になって入り込むような錯覚を楽しむことも悪いことではありますまい。

するとアホー、アホー! と汽笛を鳴らしてトロッコか動き出したのでございました。
「入れてイイ?」
という合図の汽笛なのでありましょうか。

以前は坑内は女人禁制だったらしいのですが、いまは観光目的ならばOKとのこと。

トロッコは途中まで。

あとは徒歩で進むのであります。
係の老人は以前は炭鉱夫。丁寧に説明してくれるのですが、九州弁でしかもカクゼツが悪いのであります。
また泡をためて喋る習性あって、暗い坑内でも、唇に白く乾いた唾液がへばりついているのが見えるのであります。

「分かりましたか?」
と聞かれても、その白い唾液を見てばかりいましたので「え?」と訊き返す始末。

「こん人はバカたれだ」
と思われたに違いございませんです。

坑内から出ましたら、炭鉱弁当なるものが用意されていたのであります。

少しだけだな、と軽くみたら、しかしその弁当箱の厚いさといったら尋常ではございません。
ご飯がむねにつかえるのでありました。

が、わざわざ弁当をこしらえたオバちゃんが説明に来られたので、残すわけにもまいりません。

目を白黒させて、やっとのことで平らげたのでありました。

帰りには、係の元炭鉱夫のご老人五人が、総出で、船が見えなくなるまで、岸壁に立って手を振ってくれるのでありました。
唾で唇のわきを白くしたご老人もおりました。

もう会うことはないでありましょう。
みなさま、安らかにお瞑りくださいと、すこし早いかもしれませんでしたが、忘れぬうちにと、冥福を祈るのでありました。