04.24
桜はとうに散り終え、クリトリスのようなツツジの蕾もほころんで、手を伸ばせばそこは夏のであります。
誰にでも夏の思い出はございましょう。
夏というキーワードで記憶を検索すると、たとえ現実にはなかったことだったとしても、恋と言う一文字が浮かび上がるものであります。
私メは岩手県の内陸育ちでしたから、海には強烈な憧れを抱いておりまして、しかも、その海というのは夏の海でなければならないのでありました。
不良娘との海は忘れることができませぬ。
岩陰に座りながら何時間も海を眺めていたものであります。
「この煙草が乾くまで、ここにいよう」
などと、波のしぶきで濡れた煙草を岩に並べながら、そんな可愛いことを申したことを、不意に思い出し、顔を赤らめておりますです。
友達から借りたヤマハの90CCのバイクに二人乗りして来たのでありましたっけ。
雫石川の河原で学生服をぬぎTシャツに着替え、その不良娘も「見ねんでね」とやはりオレンジ色のTシャツに。
弁当だけバックに入れ、それは途中の早坂高原のベンチでいっしょに食いましたから、学校をさぼったってわけなのでありましょう。
「…いまキスしたの?」
はじめてのベーゼの直後の彼女の言葉がコレでありました。
「なして?」
とつづいたのでありました。
なんども夏を迎えましたが、私メにとってのほんとうの夏は、とっくにすぎ去ってしまっておるのであります。
不良娘と何時間も座っていた岩場に、立ち寄ったことがございます。
なにも感じないのでありました。
夏草が茂る、ごくふつうの岩場なのでありました。カップ麺のカップが小汚く捨てられておりました。
その岩場も昨年の津波で、あとかたも失われたことでありましょう。
彼女も50歳過ぎ。
モリオカで、母のつきあいで病院にいったときなど、待合室を見まわし、彼女に似たお女性を探したりいたします。
どうしても、幸せでいるとは思えないから不思議でありますです。
私メのヒネクレた差別意識なのでありましょうか、それとも易者としての予感なのでありましょうか。それとも…いやいや、もうやめましょう。
夏の海は想い出を懐かしむより、想い出を作れ作れと語るように波が寄せているのでありますから。