2012
06.02

思春期の頃、父の母、つまり祖母には、とても心配をかけて育ったようです。
「根性」の文字の壁掛けとか「希望」という掛け軸をことあるごとにもらったモノでありました。裏を返せば、それら根性や希望のないガキたったことになるのであります。

なかでも思いで深いモノに祖母の直筆の「あすなろ」の詩がのであります。
「♪あすなろ、あすなろ、明日はなろう~♪」という例のヤツでございます。
が、あすなろの木というのは、クスノキだったかを目指しながら、結局はクスノキになれない二流選手の悲哀の内容なのであります。

祖母がどういう思いで、この詩をしたため、私メに贈ったのはさだかではありませぬが、ニセモノに対してけっこう惹かれるのは、やはりアスナロ止まりだからかもしれませぬ。

南十字星の、右側に大きく十字型の星座がございますが、それが「ニセ十字」なのであります。
正しい南十字星は、八十八星座の中でもっともちいさな星座。しかし天の南極と結ばれ、航海には欠くべからざる星座だったのでございますです。

この南十字とよく似ていたために船人を惑わし、だから呪いを込めて「ニセ」の名称を冠したのでございましょう。

百人一首に、
「由良のとを渡る舟人かぢをたえ、ゆくへも知らぬ恋の道かな」
と曽禰好忠が詠んでおります。
『潮の流れの速い由良の海峡を渡る船頭が船の舵を失くしたように、この先どこへ流れていくか分からない恋の行く末が不安でたまらない』
という意味なのでありましょう。

安定して正しく着地する恋は、若い頃はそれが正当な恋愛だと考えたりするものでありましょう。

しかし、いっていの年齢を過ぎた頃から、正しいと思われる恋は味気なく感じますです。
社会的に認めらる恋愛など、それこそがニセの恋なのではなかろうかと。

不道徳な擬似恋愛のなかに、じつは鮮やかな恋が隠されているのではないかともおもったりいたします。
泥のなかから得体のしれない真っ赤な川虫が棲んでいいるように。

ニセ十字星を羅針にしつつ、恋を愉しむのも趣のあることかもしれませんです。

日本からはニセ十字星が眺められないのは、とても残念なことでございます。