09.02
玄関先に、昨日はなかったはずの雑花が咲いているのでした。
花とはいえないほどの質素な花であります。
たとえば、街角ですれちがっただけの一瞬の恋心にも似た花。
横断歩道をわたりきったときには忘れているような、そんな恋心みたいな花でございます。
そういう意識から消えたはずの記憶が、夢で再現することもあるのかもしれませぬ。
交錯する視線、うったえかけるような唇、憂いを帯びた眉。
「この人と恋をしたらどうなるのか」
と妄想したことさえ10秒後には忘れ、日常という水面下にふたたび潜るわけでありますが、しかし、身ぶるいするほどの衝撃はどこかに残っていて、それが夢となって復元される……。出会いが二度重なれば恋になるのでしょうが、さいしょのういういしさは濁されるのでございます。
かとおもうと、夏の間、たいせつに見守ってきたミカンが地べたに転がっておるのでありました。
いくつかの小さな実はすでになく、たったひとつ残っていた実でございました。
「あなたしかいない」
と思っていた恋が結ばれずに終わったようなものであります。
では、私メは、このミカンを育ててどうしようというつもりだったのでありましょうか。
育てた先に、何があったのかと考えると、みずみずしいまま、地べたに落ちて、それはそれで美しかったのではないかと気持ちをあらためたのでございます。
キレイな子と何十年かぶりで再会したときの、痛ましいおもいは辛いものがございます。
「いくつになった?」
「もう、おばぁちゃんよ四十だもの」
「……まだ若いさ」
の会話の最後の「……」の、つかの間の沈黙は、沈黙した方も辛いのでございますです。
ここにも雑花が、秋の予感におののいているようでございます。
「もっとはやく、夏の盛りに咲きたかったなぁ」
とでも呟くように、ひっそりとうつむき加減なのであります。
それとも、
「わたしの夏はこれからよ…!」
とリキんでいるのでしょうか。
活気とあきらめ。
夏のおわりの庭は、うっすらと荒れておりますです。
私メが30歳のときに「わわわっ、ジジイはご勘弁ですってばぁ」と、大げさに後ずさりした20歳の子も、いまや50歳まじか。
「いろんなことが、あったような、なかったような」
と、ワインに酔って「こうしてもいい?」と、私メの肩に頭をもたせかけるような哀愁をただよわせる可愛いといえば可愛いお女性に成長しすぎたようでありました。
そして店を出る間際に、食べ残しのチーズを口に放り込むようなお行儀を自然にできるように。
そんな、秋が、まもなく幕を開けるのでございます。