2012
09.09

蜘蛛の巣にかかった蝶が、気持ちよさそうに食べられているのでありました。

死はいたるところに存在しているようであります。
毎日、誰かがこの世を去るように、虫も花も雑草も日々死んでいくようであります。

獣医が語っておりましたが、
弱い動物は、苦しまずに死ぬように作られているそうであります。
ハムスターなどは、ちょっと脅かしただけでコテッと死ぬんだそうです。

人間だけが、もがき苦しんで死ぬそうであります。
この先のことを人間は知りたがります。

占いも、人間のそういう知りたがりの習性から作り上げられたものでありましょう。

が、先のことを知れば知るほど不安になるわけであります。

蝶などは、明日のことなど考えもしないでありましょう。
「ありゃ」と思ったら蜘蛛の巣にひっかかり、ジタバタしているうちに蜘蛛に食われるのです。
死という概念が、人間以外の生き物は持っていないのでありますね。

死んではいけない、などといわれますが、自殺者願望者からすれば「大きなお世話」でございましょう。
「ああ、わたしをおいてどうして死んだの」
と嘆き悲しんでも、その人だって数年先にはあの世ゆきであります。

たぶん、人間にも死の遺伝子みたいなものが搭載されて、下手に頑張らなければ、すんなり死ねるような気がしてなりませんです。

占いでは、死を大凶として考え、そこから命の根っこの絶える時期を、死期として計算するのであります。そして死期は人生で三回ほど巡ってきて、たいていは第二死期でお陀仏であります。

玄関先の花も、半分死んだように咲いておるばかりであります。

一緒に死ぬ相性というものがないかと、探しているのでありますが、いざ、そういう相手が見つかったとしても、たぶん死を語り合いつつ愛欲に耽るだけでありましょう。

一緒に生きる相性、成長する相性、ダメになる相性……。

様々でありますけれど、同じサイクルで死の遺伝子がまわっている相性というのもオツなものでありますです。

ラブホから出てくる男女は、ふたりとも激しい死相を呈しているのも興味深いものでありますです。
性と死というわけであります。

愛欲はひとつの死なのでありましょうね。

死の瞬間は、愛欲より何倍も気持ちよく、全身がジンジンと痺れいく悦びにつつまれるのではないかと期待するのであります。