2012
09.12

都内には占い専門の書店が二つありますです。ひとつは十条のかも書店。もう一つが、神保町の、この原書房であります。

莫大なお金を、私メは原書房に費やしたものでありました。
が、この数年は、とんと足を遠のかせておりました。
もはや、珍しい占い本を買いあさりつくしてしまったのかもしれませんです。

断易は、明治の九鬼盛隆から、諸口流と、菊地流に分かれ、私メは、菊地流でありますです。その菊地靖典の弟子が荻原孝堂。荻原の教室に通っていたのが、私メの師である鷲尾明蘊であります。

荻原がノートした、菊地靖典の講義が本になっているということで、それを求めに、原書房の戸を開けたのでありました。

なつかしいお女性と数年ぶりに快楽に耽るような、なにか心が馴染むような匂いが店内に漂っていたのでありますです。

初心者の熱意というと語弊がありますですが、なかにいるお客からは、純粋な研究心にあふれる熱さが感じられるのでありました。
それは、私メが失ったものかもしれませんです。

チラチラと私メに視線を向ける気配がありましたから、サングラスをかけ、顔をそむけて、目的の本を開くのでありました。あまり美人じゃなかったものですから。

「ふーむ」
まずは購入。

ほかに掘り出し物はないかと探しましたが、収穫はなく、ホッといたしました。
「おおっ、あったか!」
と掘り出し物をみつけたときは嬉しいのでありますが、どうじに「見つけてしまったか…」。この感情もわくのであります。
なにしろ、占い本は目玉が飛び出すほど高価であります。

10万円もするヤツはざら。
もっている本でもっとも高いのは80万円の原書でございますです。
掘り出し物を見つけるということは、大金を払わなければならないのと同義語なのでありますです。

かと思うと、旅行したついでに立ち寄った地方都市の古本屋では、それの本がひとざる1000円で売っていたりするものであります。
しかも、前に持っていた人の書き込みがある貴重な本が、です。

占い本は嘘が平気で書かれておりますです。
書き込み本は、それらの嘘を訂正してくれていたりするものでして、「まえの持ち主はデキる奴だな」と直感したりするのであります。
なので、書き込み本は貴重なのであります。
ここらへんが、一般の古本とは価値観が異なる点でございますです。

帰りの東海道線で、缶チューハイを傾けつつ、斜め読みいたしました。
「あるある」
やはり間違いが散らばっておるのでありました。

そして、価値のある本だということも間違いないのですが、これは菊地靖典の講義を聞いたものにしか理解できない本なのでありますです。

「やはり、教室を開講するしかないようである」
本を閉じ、缶チューハイをのみほして、ひとり思うのでありました。

車窓には9月の夕暮れがひろがっておりました。