2012
09.15

フラワーアレンジメントの頭数合わせに、呼ばれたのでありました。
切り花を適当に生けるだけなのでありますが、そのバランス感覚がつかめず、なかなか難しいのでございます。

花の美しい頃合いを見計らって切り、それを野に咲く花よりも、花の本質を生かすようにするというのが、華道の目的だとか。

では花の美しさとはいつの頃なのだ…などと考え込むのは愚かなのでありましょう。枯れた花では話になのまりますまい。

しかし、花は実をつけタネとなって種を継続させるのが本来のあるべき姿ではなかろうかと思ったりしてお花をアレンジいたしますから、出来はご覧のとおりでありますです。

たしかに子供を産まない女体の美しさを否定する人はおりますまい。
では、子供を産めないお女性自信はどーなのでありましょうか。

産みたい産みたい、自分の子供が欲しいと、病院に通うお女性は少なくないのであります。
そして、ちょうど良い日に、せっせと性交を行うのでありましょうか。

男にしてみれば、生殖のためのセックスほど恐ろしいモノはございませんです。
取り返しのつかないことをしてしまったという怖さにおののくのでございます。

などと考察していましたら、共時性が働いたのでありましょうか。
このような表札が目に飛び込んだのであります。

「中出」。ナンダシと読むのではありますまい。
が、ナカダシと読んでしまうのでございますです。

どうどうとした「中出家」の表札は、けれども男心には辛うございますです。

不幸な子供を引き取ればいいのではないか、そのために子供を産めない体を天から命じられたのだから…と発言すれば、非難ごうごうでございましょうね。

快楽のためのナカダシは悦びある行為でありますが、それが出産と結びついたとき、男はうろたえてしまうのでございます。

「生理が遅れている」と言われたときの恐怖と、「今朝、お客さんがきました」という待ちに待った連絡が来た時の安堵。
天国と地獄とは、まさにこのことなのでございます。

フラワーアレンジメントの美の神髄は、この男心の天国かもしれませんです。

とは言いながらも、子宮を摘出したお女性や、石女さまとの愛欲に対する情熱が、いまひとつ燃え上がらないのは、男の身勝手さというより、神様の思し召しと解釈いたしたいところなのであります。

妊娠というスリリングな罰をせおいつつ、おこなう愛欲の世界。
矛盾した、これも男心なのでございますです。