2012
09.20

東海道新幹線も止めてしまうほどの雷雨が過ぎ去ったら、秋が誕生しておりました。

気温は高いのですが、陽光も風も木々も、もはや夏のモノではございませんです。
久しぶりに顔を合わせたお女性がしずかに老いているような、そんな季節があらわれているのであります。

濃密な愛欲が懐かしいような季節ともいえますです。

あれこれと世話をし、心を砕き、やりたいことも抑止し、お金もずいぶんそそぎこんだのに、ぜんぜん愛されていなかった事実に、唖然とする季節は、もうすこし先のことなのでしょうか。「おまえのことなんて愛したことなどない。さっさと死んでしまえ!」と、憎まれていたことを思い知らされるのであります。
いえいえ、男女のことではありませんです。

日本のことを申しているのでございますです。

こうなったら、好きなように老いていくしかありませんですね。
まったく、なんのために気兼ねしていたのか。
「あなたの愛欲につきあってましたが、もう耐えられません」

これは男女のことになりましょうか…。

「ええっ? 誘ったのはキミだろう。最低でも一週間に一度は逢いたいといったのもキミだし」
と心の底で思っていても、男はそれを指摘する気持ちにはなれないのであります。

「わたしとHをしたくて、そのあとのお茶だってしぶしぶだったわよね」
お女性は沈黙する男に襲いかかるのであります。
「いやいや、オレはキミの他にも女がいたわけで…Hはしたくないわけではなかったけれど、やはりしつこく誘ったのはキミだよ。オレが誘ったとしたなら、そうしなければヒステリーをおこすからだなぁ」
これも、男は黙るのであります。

秋の気配をかんじながら、チェックした単行本の初校を宅急便で送るために、コンビニまで自転車に乗っておりますと、仕事から解放された心の隙間に、お女性の言葉がよみがえったまでであります。

が、記憶違いは、お女性だけでなく、私メにもきっとあったことでありましょう。
「だからどうしたというのだ」
これが自分に対する納めの言葉でありますですね。

愛されない日本、愛されない自分。…今年の夏はせっかく夏らしかったのに、誰からも愛されなかった夏だったような気がいたします。
紫陽花をさいごに、夏の花も咲かなかったような…。

愛されるために愛するのか。
愛なくても愛するのか。
愛されないから愛さないのか。
愛されても愛さないのか。

いま、そのような秋は始まったばかりでありますです。