2012
10.18

断易に欠点があるとすれば、それは道具でありましょう。
筮竹を使うのが本来のありかたといわれていますが、筮竹はあまりに古臭く、完全に易者であります。

サイコロを通常は用いますが、賭け事のイメージが強すぎますです。

古銭をほうり、その表裏で占う方法は、もっぱら台湾の易者がやっており、これは古法にのっとっており、福本銭を使えばイイのでありますが、それでは、いかにも福本銭を押し付けるようで、私メの流儀ではございませんです。

そこで、思い出したのが、「円耆」。えんし、と読みますです。
19個の石を撒いて、それを並べるのであります。

画像が、ソレであります。
どーです。美に溢れていると感動いたしますでしょう?

売っていないので、私メが、さきほど作ったものであります。

イメージというヤツは厄介でして、私メは「清子」という名前が苦手てありまして…もうこんな素朴なお名前の方はいないかもしれませぬが、私メの時代ではたまに存在していました。
が、どんなに美人でも、名前が邪魔をして好きになれないのでありました。
清子ではなく今日子と、頭で置き換えても、やはりキヨコ、キヨコ、キヨコと、脳髄にツカツカとイメージが突き刺さるのでありました。
苦手な理由は心当たりがありませんが、おそらく何が原因して、心に封印しているのでありましょう。

断易も、やはりお道具が大事。
十傳スクール、「鬼谷断易」で使用する、お道具はこの円耆にきめましてございます。

でも、これを人数分作成するのは大変でありますから、19個を三個に省略することにいたします。

ばら撒いた宝石が如くの石を、右のわうに並べますと、易卦があらわれるのでございます。

これで断易も見直されるものと確信したのであります。

やはり、見かけもが大事であります。

断易はタロットと同じく、そのときの偶然性を重視する占いでありますが、美しさからいって、タロットに勝ちをゆずっておりました。

が、これで断易も美においてタロットと比肩することになるのでございます。

ちなみに、キヨミとか清ノ進という名前でしたら、何の抵抗もなく、受け入れ十分でありますです。