2012
11.15

聖夜には、まだひと月以上あるのでありますが、ガラクタのなかから、画像のようなものが出てきましたので、ホコリをはらって飾ったのであります。

うしろにあるネジをまくと聖歌が奏でられ、人形たちが踊りだします。
電池は腐っていて、交換してもダメでしたが、ほんらいならば家の灯りがともる仕組みだったのでございます。

これからイブまでの期間は、一年の間で、もっとも夢見る季節ではないでしょうか。
日に日に、寒さが増し、でも、それは心身が引き締まる充実感を帯びるのでありますです。

暗い表情のお女性が、似合わない笑顔をこぼした、そんな感じのする季節のど真ん中にたたずんでいるような贅沢な気がいたしますです。

いただいたスパークリングの日本酒に、いささか酔ったからなのでありましょうか。
新月の夜は、窓を開けると星々がまたたき、そんな人はいないはずなのに、誰かが私メを待っている錯覚にあそべるのでございます。

「愛されていないわたしの気持ちを考えたことはあるの?」
と、詰め寄る愛の終わりのお女性の言葉よりも、
出会った頃の、初々しい、
「こんなに贅沢な夜を過ごすのは、生まれて初めてです」
と歌うように語ったお女性を思い出したりするのであります。

人の心に生息する魔物を探し出す商売をしていても、たまには今宵のような清らかな気持ちになるのも悪くはございません。

宝石のような言葉をひとつひとつかみしめると、人の心に生息する魔物ではなく、魔物の心の裏側にあるしあわせなハートをみる思いになったりいたします。
「愛してるって言わないでね」
「別れても、毎年、今夜は夜空を眺めるわ」
「いまよりもしあわせになりたくないよ」
「乾くまで帰らない」
「男物のシャツって大きいんだね。こんなにだぶだぶ」
などなど。

しあわせになるより、しあわせになろうとしている不幸な時の方がしあわせなのかもしれませんです。