12.27
観光ルートから離れたところに本当の生活があるのであります。
神楽坂も例外ではありませぬ。
この地蔵通り商店街は、神楽坂の急激な坂を江戸川橋方面に下ったところに存在し、いにしえの街の名残をとどめているのでありました。
一軒としてコンビニのない通りなのであります。
人々は生き生きと行き交い、まさに日常の濁情にまみれているのでございます。
ホルモン焼きの店が軒を連ね、かといって賑やかさとは縁遠い、わびしさが漂っているのでありました。
美人も多いのであります。
ほら、こんなイカスねぇさまも昭和の時代から私メを待っていてくれているではありませぬか。
「どったの、坊や」ってね。
今夜は事務所泊。
酒のツマミを求めて通りをそぞろ歩くのでありました。
一歩一歩がもったいないような商店街でございますです。
刺身と日本酒とワインを買い込み、しかし、まだ何か足りないような、そんな感じであります。
これでは仕事になりませぬ。
ならなくたっていいんです。
食うあてもないのに、ニコゴリなども、つい買ってしまうのであります。
どーせ、ひとり。
飲み屋にも行かない決断。
しからば事務所飲みとシャレこむしかございませぬ。
若い子の店に行こうという衝動にならないのは、やはり年齢のせいでありましょうか。
深夜に、寂しさと欲情につられてお女性に電話をすることにもならないようであります。
まったく、神楽坂の知らない通りのような世代になったということでありましょう。
通りは、私メを迎えるでも拒否するでもなく、年末の空っ風に吹かれてつづいているのでございますです。
私メも、その通りをぶらぶらと場末まで歩くのであります。
やがて不幸せな時代が終わり、眩しいほどの幸運の時を迎えたとき、このようなひなびた通りのような頃のことを、幸せだったと感じるわけでありますです。
いま、地蔵通り商店街のはじっこまできて、急激な坂を登ることになったのであります。
その坂の上は、人通りで賑わう偽りの神楽坂なのであります。
男女がゲラゲラと笑い、商店主は客から奪う金勘定。
ほれほれ、しだいに気取ったおムードになってきたではありませぬか。
すると、このムードの方が、下町よりもやっぱり好きなように気持ちが潤んでくるから不思議なのであります。
「もう私のコト、きらいなんでしょう?」
と、詰め寄られた時、
その素朴さにいらだつような気持ちに似ていますです。
「嫌いではないけど、もう好きではない」
神楽坂の雑踏という幸運地帯まであと少しなのであります。