2013
02.08

見てやってくださいまし。

これが、しやわせなのでありますです。
幸せと幸運とは違うのだと、机上の空論を放つよりも、この家族のぬくもりを眺めているだけでイイのであります。

茶髪の母ちゃんと、力仕事をしているような土臭い父ちゃん。二人は赤いほっぺたをした生後三ヶ月くらいの赤ちゃんを抱っこして、ピザをつつんだビニール袋を前に、なにを語らっているのでしょうか。

父ちゃんは浮気をするのでしょうか。
母ちゃんもやがては父ちゃんのことをダンナと呼んで毛ぎらうのでしょうか。
そして赤ちゃんも「このクソばばぁ!」などと不良になるのでありましょうか。

が、いいのです。
しやわせが、10年で潰えようと、一年ももたずにダメになろうと、一週間後にとんでもない事態に直面しようと、この今のしやわせが大切なのであります。

もし、占いというものが役に立つのであるとすれば、この、しやわせの寿命を一分でもイイから長く保つことなのでありましょう。
親も教員も政治家どもも知らない運命学という知識をフル回転させて、個人個人のしやわせを維持することが、もしかすると易者には可能にすることができるかもしれませぬ。

知り合いの占い師に「殺し屋」と呼ばれた人物がおりました。
殺しを依頼されるのであります。
たとえば親族間の骨肉の争いとかで、「叔父を殺してほしい」と頼まれ、二千万円くらいで引き受けたりするのであります。
奇門遁甲造作法を用いるわけでありますが、その資料を渡したのは私メでありました。

が、その占い師の消息は不明になっておりますです。
「こういう依頼は易者の人格を壊すね」
と、たしか10年ほど前に吐き捨てるように呟いたことを思い出しますです。
そのご何度か会いましたが、いつしか疎遠になったのでございます。

なにが正しいのか分からなくなっている時代であります。
しかし、この、しやわせ家族を通路を隔てたとなりで感じておりますと、わからなくなってしまっている正しいことが、じつにみずみずしく見えてくるのでありました。

などと麗しき感動をしていましたら、辻堂で降りぎわに、ふと振り返ったのでございます。
そしたらば茶髪母ちゃんの意味深な視線と絡み合ってしまいました…。
アーメン。