2013
02.19

十傳スクールの四柱推命も、三月からいよいよ通変星に入っていくのでありますが、「格」を決める際に手を焼くのが、外格でありますです。

なかでも「強旺格」と「従強格」ならびに「従児格」「従財格」「従殺格」がございますです。
四柱推命は元来、五行均衡論が原則でありますが、これら外格は、偏った五行の強さに従ってしまえというヤツなのであります。

強いなら、その力をそいだり、逆に弱いのならば、力を与える五行を「幸運の星」とするはずなのが、外格はそうではなく、強いのだから、もっと強くしてやれ、あるいは弱いのだから、さらに弱めてしまえという考え方を採用しているのでございますです。

が、外格には、もうひとつ、一行得気格なるものが存在いたします。
これは美しいまでの五行の結晶体でありますです。

この一行得気格こそが、その美しさを歪めないように、原則に反しても、五行のエッセンスを守らなければならない格でありますです。

歴史的に見ても、一行得気格以外の外格のとりかたに手を焼いている形跡が見かけられますです。
ために、四柱推命の我流であるところの算命学においては、その取り方の困難さに目をつぶり、「エイヤァ!」と車騎格とかなんとかで片づけているようでありますです。

私メは、外格は、一行得気格のみでイイのではないかと考えるのでありますです。
あとは暴力団のようなものでして、野放図に力を与えたり、力を削いでは、ならないのだと、それは実占でも経験しているのでありますです。

何を語ろうかといえば、純粋なモノと、ただたんに力のあるものとを混同することは危険だということなのでありますです。

デカイだけのオッパイよりも、美しいオッパイに価値があり、巨根に価値があるのではなく、そのデコボコしたフォルムの美にこそ、快楽に通じる導火線があるのではないかということなのでありますです。

栄養を考えながら食事をする。これが内格でありましょうか。
腹がへっているから大食いする。これは、一行得気格以外の外格でしょうか。
美味しく栄養のあるモノを少し食べる。そして、これが一行得気格であるのかもしれませぬ。

茅ケ崎の雨は昼から雪に変わり、激しさを増しながら斜めに降っておりますです。

純粋なる命式はまことにめずらしく、しかし、その純粋なる命式は、来る運によって濁されたり、壊されたり、向こうになったりいたしますです。
どんな運が来ようとも、頑丈な命式がじつは良い運勢を内包しているのかもしれませぬ。

占いだけでなく、何事においても。