2013
02.24

吹雪の一日でございました。
実家の周辺を散歩することにきめ、完全防備で凍結した湖畔をめぐったのでございます。

雪に閉じ込められるのは悪いモノではありませぬ。

「十傳スクールの夜の部をいつからスタートさせようか」
などと思考するには、邪魔する外部との交友を諦めさせてくれるので、深く深く集中できて良いのであります。

「五月から!」
そのように決めたのであります。
第二、第四の、火曜と水曜…。
ほぼこれで決定でありましょう。

詳細は、関東に帰ってからお知らせいたしますです。

雪を踏む音は、卑猥な本能をとても刺激するものであります。
若い頃であれば、書店の店先で雪をほろいおとしエロ本を買い求めたことでありましょう。
が、いまはギチュッ、ギチュッと靴底に雪のつぶれる感触のむず痒さだけで満足満足。

五月になれば、湖畔も画像のような花と鏡のような水で溢れるのであります。
ボートを浮かべ向きあう男女は意味もなくニヤニヤしあう光景があそこにも、ここにも見出されることでありましょう。

もしも体験したことが無駄にならない分野があるとすれば、占いも数少ないひとつかもしれませぬ。人は踏み出した一歩で決まるモノであります。
容易には、その一歩を翻すことはできませぬ。
成功や挫折の体験がすべて活かされる分野はそう多くはありませぬ。

占いの法則とは、人間の世界の法則をなぞっているのでありますです。
さまざまな体験と、占いの知識がリンクした時「!」と頭の中で火花がスパークすることでありましょう。
それは自分を救うことであり、仕事にすれば他人にひとつの道標を提示することになるはずであります。

思春期であった私メは、この湖畔で、すでに濁情の悦びを覚えていたのかもしれませぬ。
当時はむろん純愛と信じて疑いませんでした。
「その娘さんと一生添いとげる覚悟はあるのか!」
と、亡父から叱られたとき、
「まさかまさか」と否定し、心の中で「これは経験の一つだけだべ」と亡父のまじめ一徹をあざ笑ったモノでありましたから。

私メがやったことといえは、日暮れの湖畔で他校の女子とボートに乗り、木陰の入り江で隠れるように、ニヤニヤとベーゼを交わすことでありました。

ここが、その「ベーゼの木陰」
はやくいたさねば毛虫が落ちてまいります。

「オノ君、いまわだしに、キスしたのぉぁ」
「わるがったがぁ?」
「いぎなりだったがら、とかとかずぐなってるぅ」
「んだば、こんどはゆっくりやるべ」

などという声が過去から蘇り、赤面するのでありました。

いやや、とにかく、このような体験さえもが、占いでは最大級に活かされるのでありますです。
原則をまなび、そこに仕事なり、恋愛なりの体験で肉付けすることで、どくとくの判断が可能になるのでございます。

五月からお勉強をしてみようと思うお方は、ご連絡をくださいまし。