2013
03.02

震災の三回忌で従妹のうみちゃんと久しぶりに再会したのでした。
うみちゃんは、お嫁さんを失った従弟のお姉さまでございます。
大学は東京の音楽大学でして、そのままを埼玉に住んでいるのですから、法事でもないと会うことができませぬ。

「ショパンいいわよね」
と酒ばかり飲んている私メに語りかけるのでした。
いろいろと悩みがあることは老母から聞いておりましたけれど、音楽の話ですこし安心いたしました。

それで、三回忌から一週間たったいま、部屋でショパンの別れの歌などを聴いているのでありすです。

「あと、五年生きられたらいいかなっておもって暮らしてるの」
うみちゃんは言うのです。ことし還暦とか。
「五年たったら、あと三年くらい生きようかっていうように?」
と私メ。

「あのね」
うみちゃんは問いかけます。
「こんなとき男性だったらどう思う?」
昔からうみちゃんは才女の誉れが高いお女性でしたから「男」なんて言わずに「男性」というのです。
「知り合いでね、20年間不倫をしてきた人がいるの。私のお友だちで。東京と岩手に暮らしているから遠距離不倫よね。一年に四回くらいしか会えないわけよ」
と言葉を置いて、
「それがね…」
と続けたのであります。

よくある話でありました。
お女性が乳がんになったというのであります。
「えっ?」
反射的に飲み友達のことが頭をよぎりましたが、黙っておりました。

「彼女、乳がんになって、片方の胸を取っちゃったの」

傷が癒えたあたりに、二人は逢ったというのであります。

「ダメだったのよ…」
「何が?」

ラブホに行こうとしたけれど、ドアの前で引き返したというのです。

「どっちが?」
「二人ともよ」

「それでね、考えちゃったの。20年間の付き合いってそんなことで終わってしまうかって。そこで、あなたに尋ねたの」

オッパイを失ったお女性は、彼にカラダを見せるのをおそれ、男もまたオッパイを失ったお女性にたじろいでしまう。と同時に、二人の気持ちがすれ違っていく。ということなのでありましょう。

社会性をともなう婚姻関係と異なり、男と女という本能で結ばれた二人は、外部からの妨害には強かわり、内部のアクシデントに対しては抵抗するすべがないのかもしれませぬ。

私メは過去をのぞきました。
40代のはじめに不能になり「武器よさらば」状態に陥ったとき、付き合っていたお女性が散らばってしまった過去を。

「ハゲたら私たちはおしまいね」
という声もリフレーンいたしましたが、たとえば、そういうことなのでありますですね。

大灰色熊は、死の山にはいり、岩陰に身を横たえました。シューシューと漏れる毒ガスの音が、まるで母親のうたう子守唄のように聞こえるのでした。という動物記を思い出したのであります。

心よりカラダ。いやカラダより心を愛する…などという問題ではなさそうでございます。

うみちゃんは、
「相談したいことがあったけれど、今度にするわ」
と親戚へのご挨拶に、席をたったのでありました。

春のショパンは旋律がひどく沁みるモノでございます。