03.23
鯛をいただいたのであります。
うらめしい顔で息絶えておりました。
鯛は骨が固いので、さばくのになかなか手間がいるのであります。
しかし、良いことがありそうな、そんな魚でございます。
鯛一匹もひとつの命だとすれば、湘南の名物で、この春豊漁の、シラスは一回に数百匹も食うわけですから、それだけの命を口にするのと、どちらが罪深いのでありましょう。
「おめぇは、そんなヤツだったか?」
同じようなことを、中学のクラスメイトのサイに申しましたらば、何を言ってやがるとという表情をされたのでありますです。
「魚は人間に食われるために生きているんだ」と。
サイとは、一時期、釣りに夢中になったことがあり、学校の授業をサボって、中学の裏山の三田さんという大金持ちの邸宅に忍びこみ、古い池で、鯉を釣ったことがございました。
そしたらば、
「お前たち!」と後ろで、三田さんオヤジに怒鳴られたのであります。
「城東のヤツだな!」
城東というのは、ちかくに城東中学がございまして、そこのことであります。
私メらの中学は別でしたが、オヤジの勘違いを利用して、城東の方角へと逃げたものであります。
なんという健康的な中学生活でありましょうか。
まるで夏目漱石の小説のようでありますです。
しかし、別段、深刻に命の重さを考えているのではありません。
ホタルイカは私メが買ってきたものであります。
ホタルイカもイッパイ、ニハイと数を数えるのでありましょうか。
いずれにせよ、死体をみて、「美味そうだ」と涎を流すのも、考えると妙なモノでございますですね。
道路で猫が車にひかれて死んでいるのを見ても「美味そうだ」なんては、とても考えられませんのに。
津波で、いろいろな死体がありましたが、かえって食欲を割れてしまったものでした。
寿司屋など、目の前に死体があり、「これは生きが良さそうだ」などと指差すのですから、変な感じでありますです。
が、それにしたって、死について深刻になっているではありませぬ。
ついでにナマコも切ったのでありました。
赤ナマコであります。
正月の定価の三分の一。
縁起モノを食ったのでありますから、幸運が来ないようでは困りますです。
いや、かならず来るさ。
と自分に言い聞かせつつ、八海山を傾けるのでありました。
おもてでは、しずしずと桜の花が散っている気配がいたしますです。