2013
04.26

まるでフランスの家の庭のような場所が、モータープールの中に残っておりました。

以前、地上げ屋からの被害に耐え残った家なのでありましょう。
隣近所が、みな土地を手放したなかで、一軒だけ頑張ったのでありましょうか。

日本庭園の形からすれば、無茶苦茶でありますが、雑草のなかに花々が次々に咲き誇るのも悪くありませんです。
夏には客たちは、蚊の襲来にやられながら「ごめんください」などと訪問するのでしょうか。
それとも訪ねる人は絶えてしまっているのかもしれませんです。

子供からも親戚からも変人扱いで、一人、黙々と庭の手入れをしていると想像することもできますです。

かような想像を裏切られたくないために、家の人が出てくるのを恐れて、足早にその場を去るのが賢いのでありましょう。

しかし、
観察しますと、なかなか良くできている庭なのであります。
泥棒の被害も受けることはありませんでしょう。

目を閉じると昆虫の羽音が聞こえてきそうであります。

花は、秋が更けるまで、季節を彩るのでありましょう。

いまは思春期の花。
やがて匂いのある花にとってかわり、そして熟女のような艶めいた花を咲かせるに違いありませぬ。

しやわせとは、こういうお女性…いや花々に囲まれて暮らす生活を言うのかもしれませんです。
そういう意味では、しやわせは滅んでしまっているようでもあります。

温室栽培の花を、お金を出して購入するのが普通ですから。
「もう、この花は花びらが開いているからダメよ。そっちの蕾の方をください」
などと命じる声を耳にしても、誰も変だとも思いませぬ。

咲き終わった枝に、忘れたころ、思い出したように栄養失調のような小さな花が開くのも、なかなかの風情でありますです。

占いをしていると、つい擬人化してしまう癖がついているようでありますです。

2013
04.24

戦友といえるのは、昔の占いの仲間でございます。

パフォーマンス占いをしていた頃ですから、20年以上もたちますです。
銀座ジプシーという覆面の爺さん占い師のグループに、奇妙な縁でからまり、そこの人間関係に苦悩した時期でありました。

まだ私メは若く、周囲のオバさん占い師は40代でありまして、彼女たちは濁情などとおの昔に卒業しているはずだという誤解が、私メの判断をおかしくさせていたのてありますです。

いま思えば、40代こそ、濁情の黄金期。
銀座ジプシーをめぐる愛欲の相姦図は、それはそれは華やかなモノでありました。

大阪のバラモンさんと二人して、その濁々しい世界で、だれを信用してイイものかと、愚かしいことで気が合っていたのでした。

それから20数年後、つまり夕べのザッパラスの占い師たちを集めたパーティーで再会したのでございますです。
「バラモン…?」
「あいやぁ、ムッシュー、ムッシューじゃ、あらへんか!」

ということで、一瞬で時は戻り、あれからのことを怒涛の如く語り合ったのでございますです。

あれほどの入り乱れた相姦図の主人公たちの、だれの姿もございませぬ。
死んだり没落したり消息不明になったりと、
「生きてて良かった、よかった」
とばかりに手を取り合ったのでありますです。
「わて、もうすぐ60才でんがな」

「あの子、憶えてはります?」
散会近くに、バラモンさんがニヤリといたしました。
「あのころ、19才だった、あの子、もう40になりましたわいね」
「ああ…!」
バラモンさんのお弟子さんで、初々しかった子を思い出しました。
「まだ、たまにムッシューのこと言ってはりまっせ。なんとかしよし」

東海道線で帰宅途中、「ほな、また逢いましょな」と振り向きながらホームの人混みに消えた彼女の姿を思い出していたのでありますです。
思い出していたのはバラモンさんのことでないことを、蛇足ながら申し添えますです。

2013
04.23

奇妙な具合に時代がねじれているような気が、すごくいたすのであります。

ボストンマラソンで爆破があり、美男の兄弟が犯人とかでしたが、被害にあった三人はお可哀そうではあるものの、日本がこのたびのテロとかをアメリカちゃんと一緒になってぷんぷんするのは、変なのでございますです。

広島長崎を、なんで私メが現在八十代の敗残の老人老婆になりかわらねばならぬのかと自分でも首をかしげるのでありますが、「アメちゃんの自業自得であろう」と心で思うのでありますです。
これが平和的な気持であるならば、日本は完全に精神までアメリカちゃんに支配されているのでありましょうね。

中国のおっさんの地震は案外に冷ややかでありますが、「天罰」として喜ぶ声を封じているようにも思えるのでありますです。

さてさて、奇門遁甲という素晴らしい方位術があるのでありますが、これは吉方位を自分が使うというよりも、相手側に凶方位に導いて勝ちを得るのが本来の使い方でありますです。
そのためには、彼我の関係、つまり自分と相手は別物であるという意識が絶対条件でございますです。

「相手の不幸を喜べぬようでは本物にはなれない」
と師匠に叩き込まれたのでありました。
「相手の不幸を喜べるほど彼我の関係をキッチリとつけられて、はじめて奇門遁甲が使えるのだ」と。

まぁ、それはいささか極論ではあるかもしれませぬけれど、幸運は無尽蔵ではなく、限られたものであるという前提条件があるのでありますです。
恋愛を考えれば簡単でございましょう。
お金も同じでありますです。
誰かが、いや別の国が損をしなければ、お金を得ることはできませぬ。
現在は、株とかいう架空のお金で興じているために無尽蔵と勘違いしておりますが、お金は有限でありますです。

本当に、自分もしくは自分の愛する者の幸運を求めるのであれば、心の奥で相手の不幸を喝采している自分を認める必要があるのでありますです。

あやふやな気持は危険であります。

対岸に火種を残した置いたほうが、それに意識を奪われ、自分たちが恨まれないのと同じように、大戦後、極東の国境問題をそのままにしておいたアメリカちゃんは、いまそのツケが回ってきたのかもしれませぬ。

ここは運命学をもって見回すと、矛盾点や対策方法が見えてくるからタマりませぬ。