2013
04.20

二か月も時間をさかのぼったような季節の郷里に、あの世の花が咲き乱れているのでありました。

すべての黄色い花はあの世の花であります。

一億年前の恐竜時代にも、黄色い花は咲いていたのであろうか、などと哲学してみるのでありました。
その後、寒い時代が地球を覆い、恐竜は死滅し、やがて人類が主人公として登場したのでありますが、それから100万年。
恐竜時代が一日だとすれば、人類の時代は14分くらいと言われておりますです。

進化論が正しいのかどーかは疑問でありますけれど、サルから進化したとして、その進化と言うヤツはストップしてしまったような気がいたします。
そして、人類は人類の手で滅びようとしているのも、もはや空想のことではありますまい。

次に地球の主が何になるかは分かりませぬが、輪廻転生など信じるに足りないような気もいたしますです。

氷河期の厳寒期を種となって生き伸びて、花を咲かせ続ける植物が、なにもかも知っているようであります。
もしかすると植物が言葉を持たないのも、それは生き伸びる知恵かもしれませぬ。

「好きよ」
と発したところから、始まり、始まりがあれば終わりがあることを植物は何億年もかけて学んだとも考えられるのであります。

「いつまでも待っているよ」
と約束しても、「待っているよ」という言葉じたい、待てないかもしれない心の不安が招くことでありますから、誓っても誓っても、信じきることは難しいのであります。

「好きよ」
の言葉は、その裏に「○○さんより好き」と比較する心がありますから、いつかは「もう●●さんの方が好きなの」と離れていくだろう気持ちの不安定を無意識は予測しているのであります。

「好きよ」には「オレもさ」と答えなければいけない強制が含まれていることも辛いのでありますです。

同じ場所で、誰から評価されるのかされないのかも関係なく咲いているあの世の花も、やがては枯れて次の季節を迎えるのでありますが、「桜は哀れだよなぁ」
なんて思っているかもしれませぬ。

桜見物のために植林され、ライトアップの苦痛まで強いられつつ、人間に迎合しなくてはならないのでありますから。
「好きだといいなさい」
と善意の裏側ある鬼に脅されているようでございますです。

郷里はまだ半分は冬。
やっと春のきざしが生まれたばかり、人類の100万と何回目かの春でありますです。