2013
08.01

男女の関係はタイミングというモノが大きく支配しているようでありました。

乳がん手術で、乳房を再建した飲み友達のお女性は、すっかり元気になり、モリオカで飲みに行こうと誘われましたけれど、ゲラなどの忙しさを理由にNGを出してしまったのでございますです。

数ヶ月前、まだ冬の季節に、やつれた表情で、例の約束…私メが、彼女の削除するまえの乳房に吸いつく最後の男になるという約束を交わしたことを忘れたわけではございませぬ。

手術のタイミングの関係上、それは叶わなかったのでございます。

しかし、我々は無言の中に、では新しいオッパイをというサインが、メールでも電話口でもそれとなく漂わせていたのは事実であり、そして期待していないわけでもなく、いやいや、大いなる期待と好奇心を抱いていたのでございます。

けれど、立ち入り禁止というブレーキを、私メは心のどこかで感じているのでございます。

もしも、あの時、内部に癌組織が散らばっているオッパイならば、何の歯止めもなかったことでありましょう。ガンが移ったとしても、それならばそれでもいいという気持ちでいたのでございます。
彼女の不安や苦しみを「ちょっと、こっちにも持たせろよ」という気持ちにちかいようなものが、心に存在していたのであります。

それは愛とか恋ではなかったはずであります。
痛いところを手でさすってやるような同情でありました。

しかし、回復してビーンと張りつめた乳房に、大いなる期待と好奇心を抱きつつ、やはり、「まぁ、イイじゃないか、エッチをしなくても」と、情熱らしきものが失せてしまっているのでありました。

遠距離恋愛になる時に、前日に狂ったように求めあうような二人が、やがて休日に相手のアパートを訪ねても、どことなく空虚な雰囲気が漂うのに似ておりますです。

あるいは、生活に困っている相手に「いつでもいいから」とお金を渡し、しかし、相手が旅行を楽しんでいることを聞いて「返せよ」と請求するような感じでもありますです。

どちらかが不幸でなければ、男女の関係は遊びになるのかもしれませぬ。

でも、まずはホッといたしました。
まだ私メのなかに清流の名残りがあったことに対しであります。