2013
08.20

濃厚たるフェロモンの匂いを、お女性は自覚したことがあるでありましょうか。

待ち合わせ場所で濃密なまでの女の匂いをしたたらせていれば、いかに関係ないというような無表情を作っていたとしても、男にはナニを求めているのか一瞬にして分かってしまうのであります。

枯草のような、モロミのような、その匂いを果てさせるまで、精力の限りを尽くさねばならないと、心に誓うのでございますです。

45才くらいまで、お女性はその匂いを発散させるようであります。ちょっとした会話に刺激されてムワッと漂うこともあれば、抱きしめたとたんに髪も吐息も、その匂いに埋め尽くされる場合もございます。

「女のイヤはイイのうち」とされていますですが、この匂いが漂わなければね「イヤはやっぱりイヤ」と解釈した方がいいのでありますです。
かすかにでも匂いが漂ってはじめて「イヤ=イイ」となるのでありましょう。

男とお女性に、ですから言葉は不要なのでございます。
会話の内容はどうでもよく、鼓膜を震わせる肉声を楽しんでいるのでありましょう。

匂いは音楽と同様に、人間の内面を直撃するテレパシーに近いものがございます。

一方で、文章はなかなかそうは参りませぬ。
言葉を尽くせば尽くすだけ、感覚の差を思い知らされるのであります。

メールがコレに当たるのであります。
メールによって喧嘩をし、傷つけあい、果ては別れるというケースが急増している原因は、文章は心を濡らすことがきわめて難しいからでございましょう。

「メールは簡潔にね」
「わかった」
と約束したのに、
「ハッキリさせたい性分ですから」という枕詞で長文メールが届いたことがございます。
「じゃあ、直接に言ってほしいな」
と目を通す前に返したところ、「直接だと言い負かされるから」とメールが瞬時に戻ってきたのでありました。

仕方なしに長文メールを読むのでありますが、彼女の気持ちが伝わる前に、よくぞ、ここまで書いたものだとあきれ果てるほどの、しつこさで埋められていたのでございました。
「だから言ったのに」
と、結局は最後まで読むこともせず、気持ちが音を立てて引いていくのでありました。

メールで気持ちや思いは伝わりませぬ。
メールは要件を確認しあうツールとして徹底させて間違いはありませぬ。

いや、思いをメールで伝えたくなったら、そのときはすでに愛は滅びつつあるのかもしれませぬ。

「愛なんてあったの?」
いいえ、愛の存在は、匂いによってしか確かめることはできないのであります。
愛というものは形ではなく、状態だからであります。個体ではなく流動するものだからであります。

「屁理屈ばかりね」
と、お女性はやはりメールを打ち続け、逃げ場をFacebookに求めたのでありました。
真実、真実と繰り返しメールで叫んでいたのに、最後はバーチャル。

もしかすると求めていたのはバーチャル内の真実だったのかもしれませぬ。

「まだ匂う?」
「うん、もうしてないよ」
「頑張ったから?」
「ヤリすぎたかもね」
匂いの世界から帰還したとき、二人に会話が戻るのでありますです。