2013
09.01

9月になりました。
真夏の熱気がとぐろを巻いて居座っております。
が、日差しはどこか寂しげ。風が北へとなびいておりますです。
蝉の声も絶え、34度の気温だけが夏をとどめているのであります。

9月は夏の日々を追想する時期かもしれませぬ。

「家に鍵がかかっているから入れねくて」
9月1日…。1971年でありましたか。
彼女のこの言葉から「んでば、行くべ」
「どごさ」
「東京に」
「ひゃあ〜」
と、青臭い恋がはじまったような気がいたします。

かすかな記憶でありますから、そうではなかったかもしれませぬ。
鮮烈な体験をしたくて仕方なかった年齢でありました。
現実とドラマが混同していた年齢でありました。

何十年も経過した今日、まさか私メが部屋で足を机の上に投げ出し、PCを腹に抱えて文字を打っているとは思いもよらぬことでありました。
PCどころか、faxも携帯電話もない時代でありました。ウォークマンが出始めたのは、それから5、6年も経ってからではなかったかと思いますです。
コーヒーは100円。ハイライトは80円。カップラーメンだけは今と同じ値段でありましたか。透明な小さなフォークでカップラーメンを食っていたものであります。

昨日、十傳スクールの断易の講義で使う「黄金策」の原書を打ったのでありますが、それは日本では鎌倉時代の頃に書かれたという記録を見て、時代は移っても人間の濁情だの、お金などに対する欲望は変わらないものだと感心いたしましたけれど、近過去というものの変化は大きいのでありますです。

恋が破れ、それから濁情へとグレていくのでありますが、そういえば、彼女はバス停のベンチに腰掛けておりました。
足元にはいくつもの蝉の死骸があおむけに転がっておりました。

「そろそろオレも大人にならなければいけないんだ」
と蝉は地上に這い上がっていくのでしょうか。
「地中では結ばれることはないからね」
「わたしが行くまで待っていてくれる?」

今年の夏はことのほか暑く、まだ夏祭りがあるのではないかと錯覚してしまうのであります。