2013
12.23

今年もクリスマス・イブが来るのでした。
が、イブが盛り上がるのは、もしかすると一生に一度かもしれませんです。

多くのイブは、マッチ売りの少女のように辛い孤独にさいなまれるのかもしれません。
たとえパーティに招かれても、その場のリズムに乗り切れなかったり、遠い昔の伝説の頃のイブを思い出すモノであります。

それは大人の証左なのでございましょう。

しやわせは過去にしかないのかもであります。
イブはじつは残酷なテストとも申せましょう。
「いっしょに祝う者がいるのか?」
というテスト。
「ほんとうは愛されていないのだろう」
というテスト。
「生きていく意味があるのか」
というテスト。

いそいそとケーキを抱えて帰宅する人たち。腕を組んでイルミネーションに熔けていくカップル。
夜空を仰ぎながら親しげに電話をしている人々。
クリスマスの音楽が低く高く流れるなか、けれどもだいたいの人は冷たい部屋のドアを開け、お湯を沸かすのでありましょう。

意識的に置いたのではございませぬ。
犬が、キリストの誕生を祝う人々を物陰から覗いている配置になっているのはどうしたことか。

近寄ると、お喋りに楽しんでいる人たちが、ふいに一斉に黙り込んでしまう瞬間の疎外感を知ること。この体験は、占いをする者にとってとても大切な財産なのであります。

地球上に60億人の人口がいるらしいのに、どうして一人ぼっちなのか。
どうして自分に声をかけてくれないのか。誘ってくれたとしても断るのだけど、自分という存在が周囲の目には映っていないということが妙にリアルに感じられてしまう、それがイブの夜なのであります。

だれか声をかけて、うそでもいいから声をかけて、今夜ならシンデレラになれるからと、心で訴えながら家へ着いてしまうやるせなさは、飲み屋のカウンターに取り残されたときと同じでありましょう。選ばれなかった自分。

明日は、そのイブの日。
ずっと待っていたとても大事な一日なのに、早く過ぎてしまえばいい一日です。
犬の気持ちを心の隅に置いておきましょうです。