2014
02.27

フリージアの花が終わりを告げておりますです。

「ババァがねぇ」
と口癖の若いお女性がおりました。
彼女が30歳をいくつかこえたころ連絡がございました。
「どーしよう、こんな年齢になってしまって…」
と、以前の自分の「婆ァ」発言に脅かされているのでありました。30代は、私メから見れば、眩しいほどに若いのでございます。

「男っ気もまったくないし」
と言いつつも、聞けばセフレ以下の男がいて、その床技に溺れ、その技を忘れさせてくれるほどの男が存在しないということでございますです。

すると、あるお声が降臨いたしました。
「勝とうという気持ちが、かえって敗北するってこともあるのよ」
というお声でございました。
この声の真意は、私メが床技において自分を誇れば、他の男は私メを乗り越えようと頑張るものである、ということなのであります。

が、私メに勝とうという気持ちなどあろうはずはなく、そのお女性は私メの気持ちを独占できなったために、他の男に満足を求めたというわけでございましょう。

言葉は恐ろしいものであります。

相手の気持ちを快くさせるのも言葉なら、相手だけでなく自分の心を塞ぎ、未来の光を消してしまうのも言葉でございます。

が、自分の言葉にみずから傷ついてしまったお女性も可愛いものでございます。

花のイノチは、その傷つく心をまだ有しているかどうかかもしれませぬ。
つれづれ草には枯れた花も風情があると記させておりますが、実際に花を枯れさせても飾っておるのは、どーも辛気臭くなりますです。
まだ初々しい頃に、花を逆様に吊るしてドライフラワーとして、花のイノチを長らえるなら話は別でありますけれど

もしも、犬が人の言葉を話せたら、犬をこれほどまでに可愛らしくは思わないことでございましょう。

「おい、違う女の臭いがするぞ」
などと言われたら。

国際恋愛も、言葉が不自由だから成り立つというケースをいくつも見てまいりました。

言葉は、恋をしなびさせ、心を乾かせ、人を老いさせるものかもしれませぬ。
私メはお女性にぜったいにたてつかないことを信条としております。