2014
06.30

こんな花を摘んで、それを編んで首飾りにしてくれた、どこかの姉さまがおりましたが、生きていれば、すでに還暦を過ぎてしまっておいででしょう。

物置小屋の味噌玉の陰で、お毛のないお股を見せてくれたこともございました。
「秘密だからね」

そのような想い出はどなたにもあることで、それが時を超えて思い出され、味噌玉と藁の匂いを感じると形のない欲情が刺激されるのであります。
いつもは幼馴染の子と、隠れた遊びをしていましたが、ときとしてお姉さまのような子があらわれると、子供心にも背徳の悦びをあじわったものでございますです。

けれど、それもつかの間でありまして、お姉さまはこういうのでありました。
「もう、いけないことは出来ないのさ」と。

きっとお姉さまのお股は大人のシルシが現れていたのでしょう。
皮をむかれた妙に悲しいような快楽を忘れられずに、私メはその後も、お姉さまを者物置小屋に誘いましたけれど、オシッコやウンチをする姿を見せることも、ズロースを下ろしてくれることもありませんでした。

やがて私メのお股にも大人の兆候があらわれ、幼馴染の子ともお姉さまとも顔をあわしても、何事もなかったようにすれ違う孤独な関係へと時が流れるのでありました。

その後、祖母が亡くなり、葬式で顔を合わしましたが、若かったお姉さまはシワが目立ち、社交辞令を交わすだけでございました。

郷里の野を散歩して、花の首飾りの花を眺めた時、ふと、そういう時の流れを振り返りましたが、それも農作業をしているオヤジとすれちがうまでのわずかな間だけで、頭は仕事のことなどに戻り、想い出したことすらも憶えていないのでありました。

「愛した後はどうなるの」
「ヤルだけだよ」
「それだけ?」
「男と女はほかに何をすることがあるんだ」

お股にお毛が生えるまでの短い少年少女の時代、花の首飾りは、「また明日ね」と別れた切ないほどの淋しさに、愛した後に何をするかも分からない、恐ろしいほどの静けさの象徴のような気がいたしますです。